沖縄を深く知るためのガイドブック
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最新トピック









どう変わるか、農連市場周辺 <路地裏からの沖縄旅

初めて、建て替えられた農連プラザに行った。早朝に始まる市場部門が完全に終わっている午後にのぞいたせいもあるが、飲食関係の店が多く、以前の農連市場とはだいぶ雰囲気が変わっている。この新しい施設のめざすところは、地元買い物客か、それとも観光客か見えにくい。周りの商店街とのバランスもどうなっていくのか。特に昭和の香りただよう太平通りとの対比が興味深い。独特の雰囲気を醸し出す那覇の市場街は観光資源であること間違いない。まだ、オープンして数カ月だから答えを出せないが、農連プラザで得た結果を、老朽化の目立つ市場街をどう建て替えていくのかに生かしてもらいたいところである。

 

格安航空券は格安航空券センター









沖縄の基地と性暴力<沖縄探見社の新刊>

民家に押し入り女性の拉致も

戦中から現在まで続く悲劇の数々

A5判 全96ページ 定価1000円+税  沖縄探見社編・刊


基地に絡んで沖縄で繰り広げられた膨大な性暴力の歴史を振り返る本書の概要は次のとおり。

   目を覆いたくなる膨大な残虐事例

太平洋戦争に始まり、米軍統治下を経て、本土復帰後の現在に至るまで絶えることのない、性暴力の数々を紹介する。驚かされるのは件数の多さだけでない。屈強な男たちが大人数で暴行、武器を手に女性宅に侵入、抵抗する女性をメッタ突きなど、凄惨な事件が繰り返される。


  
戦争があおる性暴力の構造を分析

住民の意志とは無関係に、直接、間接に「戦争」に巻き込まれ続けた沖縄。増幅され巨大化した憎悪と差別意識は、飢えた野獣のように社会の最も弱い部分を探し出し徹底的に攻撃する。この構造は、沖縄の支配者が旧日本軍から米軍に転じても変わらなかった。

   犯罪を助長する風潮や法制度

沖縄が本土に復帰した後も、法の下の平等、人権の尊重、情報公開といった民主主義の基本原則よりも、米軍基地を優先させる法制度や風潮が犯罪を助長してきた事実は否定できない。殺人容疑で逮捕された米軍属は「逮捕されることは心配しなかった」と語った。


(お試し読み! 本書を一部抜粋した内容を、こちらをクリックすれば見られます


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ヘリ事故の連続と沖縄差別 <沖縄探検社の本

 1月6日、米軍ヘリが伊計島に不時着した。1つひとつの事故だけに焦点あてれば、単なる「事故」にすぎない。しかし、伊計島への不時着は昨年1月にも発生し、昨年10月に東村でヘリ炎上事故が起き、前月13日には宜野湾市の小学校がヘリの窓落下という事故に見舞われている。事故を1つの流れの中でとらえ、本土でこれだけ連続するだろうか、本土で米軍が同じような対応するだろうかと考えるとき、「沖縄では仕方ない」「沖縄ではこの程度のことは構わない」という差別意識が働いているのではないかという重い疑問がわく。

 米兵による性暴力についても同じことがいえるだろう。弊社発刊の『沖縄の基地と性暴力』は、米軍統治時代に満ちていた差別意識を指摘している。それは単なる推測ではなく、あからさまなものであった。米軍の直接統治がなくなっても、米軍は日本の法律の及ばないところにあり、現在はそうした差別意識が消えたといえるだろうか。

『沖縄の基地と性暴力』は米軍統治時代の差別構造を次のように説明している。「日本兵による中国人女性への性暴力を描いた第1章を思い出してもらいたい(このホームページの「沖縄探見社の本」のコーナーで、『沖縄の基地と性暴力』の一部抜粋のうち「沖縄守備軍は中国で何をしたか」を参照)。小さな頃から中国人を蔑視すると同時に、「優越民族」日本人による世直しとして旧日本軍の中国大陸への侵攻を正当化してきた。実際に兵士となって、中国軍と戦火を交えるうちに中国人への憎悪と差別意識はさらに増幅し、女性への性暴力さえ罪の意識を失う。

 米兵による沖縄女性への性暴力も、日本兵を米兵に、中国人女性を沖縄女性に置き換えれば同じ構図でみられる。「ファシズム国家」「貧しく野蛮な未開国家」日本は、「民主国家」「豊かな文明国」米国によって打ち負かされ治められるべき存在とみなす。日本軍との戦闘によって被害が出れば、さらに日本への憎悪と差別意識が膨らんだ」

「例えば賃金では、米軍統治下の沖縄の人々は、本土の日本人や外国人との間には、意識的に大きな差をつけられた。沖縄タイムス1952(昭和27)年6月14日付によれば、本土企業の幹部は、同じ職種でも賃金格差があることを次のように認めている。『トラックドライバー等の普通労務者賃金(時給)は(中略)B円に換算すると2331銭から20円となり琉球労務者のトラックドライバー17円、軽トラックドライバー11円に比較しても大きな差がある。社として優秀な労務者に対して日本人労務者並の賃金を支給したいが、布令によって労務賃金が規定されているので、どうにもならない』。

1956(昭和31)年5月には、労働組合の国際組織である国際自由労連の調査団が訪れ、沖縄の労働条件などについて調査した。それによれば、次のように「人種差別賃金」が行われていると批判した。

国際自由労連が指摘した賃金格差

国籍     最高時給 最低時給

米国人    6.52ドル 1.20ドル

フィリピン人 3.77ドル 0.52ドル

日本人    1.03ドル 0.83ドル

沖縄人    0.36ドル 0.10ドル    

 差別は賃金だけでなく、労働条件や職場環境にも及んだ。1952(昭和27)年には、本土の土建工事会社である松村組、アメリカ人請負業者のVC、軍関係の機械修理工場KOTの3社で社会の注目を集める労働争議が発生した。いずれも、きっかけは突然の解雇だった。労働者の証言によれば、KOTで会社側の代表者と労働者たちが交渉していたところ、空軍警察官10人ほどが現れて労働者たちを警察本部へ連行、なぐったり壁に向かって立たせたりした後、解雇に同意させたという。3社いずれのケースも、労働者はストライキに踏み切ったり解雇撤回や退職金の支給を行政へ訴えたりしたが、要求はほとんど認められることなく争議は自然消滅に向かった」

「沖縄と同じように連合国の占領下にあったにもかかわらず、日本本土では1946(昭和21年)から1947(昭和22)年にかけて、労働者の基本的な権利を定めた労働三法(労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)が相次いで施行された。一方、沖縄で労働三法が成立するのは1953(昭和28)年7月(施行は同年10月)である。しかも、米軍はあらかじめ布令を発して、軍雇用員をこの労働三法の適用範囲から除外した。

差別待遇を感じるのは賃金や解雇手続きだけではなかった。軍関連の職場に1951(昭和26)年就職した元衆議院議員の上原康助氏は著書『基地沖縄の苦闘―全軍労闘争史』で次のように語っている。『50年代前半までは沖縄人を人間扱いせず、まるで虫けら同然だった。沖縄人とも呼ばず、琉球人、またはローカルネイティヴ(地方人または土人)という呼称を意識的に使い、お前らは日本人ではないのだ、という態度で徹底した差別政策を押しつけた。便所も、米人専用(注・本土からきた日本人も使用)と沖縄人用を区別した。むろん、米人専用は設備も立派であった』。コーヒーショップや簡易食堂があっても、沖縄の人々は利用できなったという」








すさまじい終戦直後の米兵性犯罪 <沖縄探見社の本

1117日から、うるま市在住の女性(当時20歳)を暴行殺害したなどとして、強姦致死、殺人、死体遺棄の罪に問われている元米海兵隊員で軍属だった男(33歳)の裁判が那覇地裁で開かれているが、終戦直後の米兵による性犯罪のすさまじさは顧みられることは少ない。この状況をみれば、米軍関係者による性犯罪に注目する報道に疑問を投げかけ「性犯罪は日本人でも起こす。たまたま米軍関係者だっただけ」という言葉は出てこないだろう。弊社発刊の『沖縄の基地と性暴力』は次のように説明している。 

「沖縄女性が狙われるのは外出する時だけではない。戦後まもない時期、夜中に米兵が集団で押しかけ女性を拉致する事件も頻発した。あらかじめ女性がいる家に目星をつけておいたようだ。家族が助けようと抵抗すれば、米兵は銃を持っていて発砲も躊躇しない。まさに強盗団の振る舞いである。女性は自宅にいても心休まらない時代であった。

本部町の男性(当時55歳)による証言である。

 「私の家の近所に照屋松助という頑丈な男がいた(中略)そこに突然銃を持った2人の米兵が現われ、妻子に乱暴しようとした。たまりかねた彼は起き上がって来て米兵の前に立ちはだかり、『私も海軍にいたことがあるが、君たちのように非道なことをしたことはない、さっさと帰りたまえ』とどなりつけた。言葉は通じなかったものの、その場は何事もなくおさまり、米兵らはいったん引き上げたかに見えた。ところが、間もなく米兵らが戻って来て、彼を叩き起こし、銃をつきつけて前へ歩くように命じ、前の原っぱに連れ出していきなり射殺したのであった。(中略)

昼のうちにそこらを徘徊していた数人の黒人兵は、家の中に何人かの女性がいるのを見ていたのであろう。その晩おそく、黒人兵らが突然その家の中に踏み込んで来た。大声をあげて逃げまどう婦人たちを追いかけ、1人ずつわし掴みにして闇に消えた。相手は銃を持つケモノたちである。その場に居合わせた男たちには、どうすることもできなかった」『沖縄県史10 沖縄戦記録2』(国書刊行会 1974年)

このほか、次のような具体例がある。

 ・1946(昭和21)年4月7日、首里市(現在の那覇市)の自宅で夕食後、28歳の女性は夫と雑談していたが、3人の米兵が侵入、夫を押さえ込み強姦される

 ・同年6月13日深夜、小禄村(現在の那覇市)の男性宅に米兵2人が侵入。男性が大声をあげると、米兵は逃走しながら拳銃を発射、屋内で寝ていた2人の女性がけがを負う

 ・同年6月22日午前零時半ごろ、小禄村の自宅で46歳の女性が寝ていたところ、米兵(黒人)3人が侵入、拳銃で脅迫して軍部隊の兵舎へ拉致される。同日午前4時ごろには、大里村(現在の南城市)の自宅で19歳の女性が寝ていたところ、雨戸をこじ開け侵入してきた米兵(白人)3人に拉致される

 ・同年8月18日、首里市の男性宅へ米兵3人が侵入。男性が妻や近所の女性をかばって抵抗すると、米兵の1人から切りつけられ頭にけがを負う

 ・1947(昭和22)年9月22日、27歳の女性が大里村の自宅で寝ていたところ、トラックで乗りつけた4人の米兵が侵入、女性を連れ去る

 ・同年10月1日、28歳の女性が越来村(現在の沖縄市)の自宅で寝ていたところ、米兵が侵入して女性を取り押さえた後、畑の中に連れ込んで強姦し拳銃で頭部をたたき殺す」

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路地裏からの沖縄旅

首里城周辺> <那覇市中心街・市場周辺

沖縄本島南部> <沖縄本島中部

沖縄本島北部> <沖縄の離島

沖縄の信仰・宗教





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路地裏からの沖縄旅 ニューピックアップ

海洋国家・琉球王国の残影 

 

 都市モノレール・壷川駅で奥武山公園側の出口に出ると、那覇港と漫湖周辺の史跡案内板がある。明治時代以降、埋め立てや開発工事によって大きく姿を変えた区域だが、現在の風景と対比できるように新旧の写真や解説が並べられており、アジア各地へ交易船を送り出し海洋国家として繁栄していた時代を思い浮かべられる。当時、那覇港の奥に広がる入り江であり、松や福木などに覆われた緑豊かな大小の島が浮かび、山原船や漁船が行き交っていた。その雄大な景色は琉球王国を訪れた中国人の使者からも称賛された。沖縄県立博物館で開催中の写真展「ウィルソンが見た沖縄」でも見られるように、100年前の沖縄を旅したプラントハンター、アーネスト・ウィルソンが、瓦屋根の民家と水と松林が調和した当時の那覇港周辺を撮っているのも偶然ではないだろう。何を失って現在が成り立っているのかが明らかになる。










海に目を向けた琉球王国 

 久米島町や糸満市の具志川城を見たとき、なぜ海岸近くの荒れ地に張り付くように城壁を築いたのだろうかと思った。敵に囲まれれば逃げ場はなく、周囲の地域を支配するにも便利とはみえない、陸地の隅だからだ。ところが、網野善彦著『日本の歴史をよみなおす』を読み終えた後、少し疑問が解けた気がした。小さな陸地ではなく海に目を向ければ、発想の転換ができ歴史を別の角度から眺められる。

 本書によれば、近代日本以前、豊かさの根源といえば、土地であり農業と考えられてきたが、農地に恵まれない海辺の歴史をひも解くと、早くから海に目が向けられ、交易や海運などで大きな富を築き豊かな暮らしをしていた。百姓=農民でなく、農地が狭い地域=貧しい地域の固定観念から脱するべきと説く。

沖縄も石灰岩質の小さな島と見れば、貧しさしか思い浮かばないが、アジア各地につながる海に囲まれていると捉えれば、豊かさの可能性は大いに広がる。海岸近くの城も陸地の隅ではなく、海路や航行する船に向けて建てられたと考える方が自然だろう。実際、本書の中でも、海上交通との関係で琉球王国時代の城について触れられている。そういえば、世界遺産に登録されている勝連城や座喜味城も、海を近くに見渡せる場所に建てられている。








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路地裏からの沖縄旅 地域別



首里城周辺

 ・首里城からの夕日

 ・玉陵で感じる死者との距離

 ・船がさかのぼった松川地区 

 ・感謝の気持ちを忘れない沖縄 ~松と水に恵まれた松川地区~

 ・心なごむ首里の路地裏

 ・首里城で感じる歴史の感触

 ・首里城に琉球独自の漆塗り技法

 ・首里城城郭の曲線美を味わう

 ・首里城から最高の展望

 ・仏教と琉球王国

 戦争の記憶をとどめる首里城のアカギ

 ・ツワブキと首里城

 ・首里城の祈りを再現

 ・多くの聖地を抱える首里城

 ・首里城の未公開区域を歩く

 ・首里城の時間感覚 

 ・美しいアーチの石橋

 ・ライトアップされた首里城

 ・「座る」文化からみた首里城

 ・首里城が放つ空気感

 ・首里城と龍の関係を考える

 ・沖縄戦で使われた糸数壕とスパイ容疑

 ・削除された「慰安婦」「住民虐殺

 ・首里城に残る日本軍司令部壕跡

 ・スフィンクス的なシーサーと筋肉質のシーサー

 ・「首里城」の読み方と目的

 ・首里金城町の共同井戸

 ・国王も雨乞い祈願

 ・首里金城町の石畳道と井戸

 ・首里の路地裏を龍潭池から北へ


那覇市中心街・市場周辺

 ・どう変わるか、農連市場周辺

 ・海洋国家・琉球王国の残影

 変わりゆく那覇のスピード

 ・沖縄のチャイナタウン

 ・沖縄の風景となった花ブロック

 ・那覇市の中心に古墳群

 ・那覇市は「国際」ブームの先駆け?

 ・浮島・那覇の変遷をみる

 ・天ぷらと那覇の変わりゆく風景

 ・浮島・那覇の名残

 ・那覇市にたたずむ塩田跡の碑

 ・沖縄におけるペリーの足跡

 ・戦後復興の原点と王国時代の名残

 ・那覇マチグヮーのレトロな看板 

 ・那覇市の中心で川の上に延びる商店街

 ・那覇市場の名物、ユンタクと猫

 ・近代日本最初の海外派兵は?


沖縄本島南部

 ・海に目を向けた琉球王国

 ・中城湾を臨む坂道に歴史の名残

 ・八重瀬町の琉球古民家

 ・巨岩と亜熱帯樹が絡み合う斎場御嶽

 ・斎場御嶽にたてこもった敗残兵たち

 ・南風原陸軍病院壕の惨状


沖縄本島中部

 ・普天間の過去と今がみえる嘉数高台

 ・浦添グスク跡に首里の原型を見る

 ・勝連城からの絶景

 ・荒波打ち寄せる岬の灯台 

 ・海中道路の複雑な風景と歴史

 ・浜比嘉島のエイサーと路地裏


沖縄本島北部

 ・国頭村のリゾート地区・鏡地

 ・豊かな実りと奥間集落

 ・味わい深い与那の集落

 ・神秘の空気漂う塩屋湾

 ・下から見上げた瀬底大橋

 海上を走る感覚の古宇利大橋

 ・奥行きを感じさせる羽地内海

 ・離島や本島北部に残るフクギと石垣の風景

 ・買い物弱者を支える共同売店


沖縄の離島

 ・闇夜に浮かぶフクギ並木

 ・高台から眺めた渡名喜島

 ・沖縄で一番高い城跡は? 久米島の宇江城城跡とは?

 ・2つの具志川城跡の物語

 ・魚の群れを眺める阿嘉島の北浜ビーチ

 ・慎ましやかな離島の灯台

 ・白保のサンゴ礁 魚湧く海

 ・竹富島の家並み 無駄を削ぎ落とした美 

 ・竹富島の夕日 移ろいゆく海と陸と雲

 ・渡嘉敷島の渡嘉志久ビーチ

 ・平久保埼灯台 絶妙なコントラスト

 ・久米島東海岸 おだやかな遠浅の海


沖縄の信仰・宗教

 ・沖縄のテラとは何か

 ・沖縄の土帝君信仰

 ・沖縄の霊石信仰

 ・沖縄の蔵骨器と龕 

 ・琉球は中国寄り?日本寄り?

 ・どこにあるかレトロな郵便ポスト


 
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沖縄探見社の本

『データで読む沖縄の自然環境』

50年で大きく変貌したサンゴ礁

希少種を追いつめる新たな天敵

・今脚光を浴びる沖縄の自然

沖縄県内では、国際的に重要な湿地として5カ所がラムサール条約登録地。国立公園も「西表石垣」「慶良間諸島」に加えて、新たに「やんばる」(沖縄本島北部)が指定される見通し。世界自然遺産登録をめざした動きが活発化する。

・何が沖縄の自然をむしばむか

 一方、現状を見渡すと、沿岸部の開発や埋め立て工事、赤土の流入、外来種の侵入、地球温暖化、さらに米軍基地がまき散らす有害物質など希少な動植物や国内随一のサンゴ礁への脅威は大きい。 

・図表も使って分かりやすい解説

 やんばる(本島北部)の森からマングローブ林やサンゴ礁まで、沖縄の自然を網羅するデータを図表とともに使ってやさしい説明。専門性の高い内容についてはコンパクトで分かりやすい解説や背景説明を加えている。


さらに詳しい情報や購入方法はこちらをクリック

A5判 全112ページ 高橋哲朗著

定価1000+税 沖縄探見社発刊

 


 

データで読む沖縄の基地負担

沖縄における枯れ葉剤の投棄・散布疑惑

毎月のように起きる航空部品・備品の落下紛失

事故が続くオスプレイの恐怖


 


沖縄の基地問題をめぐって、日々伝えられる情報やデータは断片的で、時として専門的な用語をはらんでおり、分かりにくいことが多い。そこで、分野ごとに関連する情報やデータを結びつけ時間軸に沿って並べ替えるとともに、やさしい説明を入れ解きほぐすことによって、基地負担の全体像がみえてくる。近年起こった基地問題に関するデータを網羅。



A5判 全128ページ 沖縄探見社編

定価1100+税 沖縄探見社発刊


基地問題は「普天間」だけじゃない

 航空機騒音、米兵犯罪、事故の危険、環境汚染、さらにベトナム戦争時代の「遺産」枯れ葉剤問題も終っていない! 豊富なデータで浮かび上がる実態

 新たな基地負担を問う

 隠蔽と不信の連鎖が渦巻く中でオスプレイを配備。「アメとムチ」で普天間基地の辺野古移設が強引に進められる。負担軽減と呼べるのか

基地をめぐる「歴史認識」

 沖縄の基地問題を真に理解するためには、本土防衛の「防波堤」となった沖縄戦や、本土の反基地運動を緩和するために実施された海兵隊の沖縄移転を踏まえる必要がある

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天才・岡本太郎を驚嘆させた民俗芸能を味わう!

「沖縄の伝統行事・芸能を歩く」






A5判、全128ページ、並製本、高橋哲朗著


本体価格1,100円+税












・沖縄の多様でユニークな行事・芸能を紹介

 天才・岡本太郎を「こんな小さな島の中に、どうしてあんなに数多く、豊かに残っているのか」(『沖縄文化論 忘れられた日本』より)と驚嘆させた民俗芸能を、沖縄に今も息づく旧暦文化に沿って紹介する 

・写真を多用し地域ごとの特色や伝統の由来を解説

 同じ季節の節目でも沖縄では本土とまったく異なる行事が行われる。また、沖縄の中でもエイサーや獅子舞、綱引きなどは地域ごとの違いが際立つ。豊富な写真とともに地域の特色や伝統の由来を解説する 

・自分の目と耳で堪能する! 開催・鑑賞情報も掲載

 観光県・沖縄では伝統行事・芸能を気軽に見られる機会は多い。エイサーをはじめ地域のイベントの中で頻繁に上演されるからだ。こうしたイベントの開催・鑑賞情報もふんだんに盛り込んでいる。 

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<そのほかの既刊本>

詳しい解説を読むには、各書のタイトルをクリックしてください


                 
     (沖縄戦の「狂気」をたどる) (沖縄・米軍基地データブック) (いかに「基地の島」はつくられたか

                          
          (沖縄で自分史・記念誌をつくる) (国会議員になった「隠れキリシタン」) (沖縄エコツアーガイドブック





(沖縄探見社の本について詳しい解説や注文方法についてはこちらをクリック)




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島暮らしジャーナル 


基地を読む

米軍ヘリのトラブル続きで本音!? 

 米軍ヘリの不時着をめぐる国会質問中に、「それで何人死んだか」とやじを飛ばした松本文明副大臣が1月26日辞任し「誤解を与えた」と釈明したが、当時の状況とやじの中身を考えれば誤解の余地などない。米軍関係の事故は死人さえ出なければかまわないという、この国の一定数を占める国会議員が持つ共通認識が思わず出たにすぎない。松本氏は内閣府副大臣として沖縄担当も経験しているはずだが、この程度の認識である。同じ国内といっても、沖縄は遠い海の先にある土地くらいに思っているのだろう。

 小学校への窓枠の落下をはじめ、最近は米軍ヘリのトラブルが相次ぎ、日本政府はヘリの総点検や一時飛行停止を求めているが、米軍側は聞く耳をもたない。那覇市から見ているだけでも、米軍ヘリの民間地上空の飛行はやむどころか、むしろ増えているような気がする。

 久米島から那覇に向かフェリーに乗っていたとき、米軍戦闘機が近づいてきた後、フェリー近くで急上昇するという動きをみせたことがある。あきらかに、フェリーを標的にみたてて攻撃後に離れることを想定した訓練だった。これほど、露骨ではないにしろ、人口密集地を想定した訓練ではないかと思わせる動きをヘリや戦闘機が示す。米国本国や日本本土では同じことをやったら、政府への強い圧力がかかり、なかなか実施できない。ところが、沖縄については政府や世論の関心が薄く、大きな「横やり」なく実施できる。米軍は、実践を想定した訓練を作戦上やめるわけにはいかないのだろう。










沖縄の米軍ヘリ事故で日本従属が浮き彫り 

1011日に東村高江で炎上事故を起こした米軍のCH53E大型輸送ヘリと同型ヘリが1018日に飛行訓練を再開、翌日には、同型らしきヘリが那覇市上空を何度も飛ぶ姿が見られた。この日はオスプレイも市街地の住宅地真上を飛んでいた。地元沖縄はもちろん、日本政府の防衛省も、訓練再開前には事故の原因や防止策について説明を求めていたが、米軍側は何の説明もなく訓練再開に踏み切った。安倍政権は日米同盟の強化をこれまで成果として繰り返してきたが、「同盟」とは名ばかりであり、力関係では米国側が圧倒的に優位に立っていることが、改めて浮き彫りになった。












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伝統芸能・行事

素朴な調べが響く首里のクェーナ 

1028日、首里城内の特設会場(下之御庭)では首里城祭の「伝統芸能の宴」として、「首里のクェーナ」が上演された。クェーナとは各地域に歌い継がれている古謡。首里は琉球の首都であり「首里のクェーナ」には、王朝文化を象徴する歌詞が残るといわれる。

この日の演目は、神の国を意味する「アガリユ」、旅や航海の安全を祈る「ダンジュカリユシ」「ウリズンクェーナ」の3つ。いずれも7人の女性が輪になってゆったりと回りながら歌う。全員が同じ歌詞を斉唱する場合もあれば、言葉のかけあいをする場合もあるが、曲調は途中でほとんど変わることがなく、歌詞も同じフレーズの繰り返しが多い。声の調子には悲しみや喜びの激しい感情の淀みはなく、澄みきった流れがふわふわと天空に向かって昇るのを感じる。曲は歌声を中心に組み立てられ、最初の曲では楽器をいっさい使わず、残り2曲も小さな太鼓1つを軽く叩くだけだった。













足を激しく踏み鳴らす汀良町の獅子舞 

台風のため延期になっていた那覇市首里汀良町の十五夜獅子舞が10月2日、地元公民館で上演された。

この獅子舞の動きで特徴的な点は、静と動のメリハリがきいているところだ。首をぴんと伸ばして視線を下に向けながら、ゆっくりと頭を回したかと思えば、突然、頭を激しく上下に振ったり飛び跳ねたりする。

時折、足を激しく踏み鳴らすが、前足と後ろ足を交互に上げるのでなく、左の前足と後ろ足を同時に上げ、次に右の前足と後ろ足を同時に上げるという動きを繰り返す。歩くときも、同じように左の前足と後ろ足を同時に上げ、右の前脚と後ろ足をあげるという特徴的な動きをする。

しばらく荒れ狂ったように暴れた後、ぴたりと動きを止め、ゆっくりと頭だけを回す。この静と動の反復が基本らしい。演奏は銅鑼の音だけで、他の獅子舞によく使われる三線の音はまったくない。獅子を誘い出すワクヤーもなく、まったく獅子の独演である。一般の獅子と子ども獅子が交互に同じ演目をこなしている点も、ほかの獅子舞と比べ特徴的なプログラム構成といえよう。











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■自然と食■

ヒカンザクラが那覇市内でも見ごろに 

今年の沖縄は不安定な天気が続いている。1月中旬まであまり寒い日がなく、このまま春になるかと思えば、体の芯が凍えるような日々に転じ体調不良に襲われる。寝込むほどではないが、すっきりしない体調である。2月11日は風が強く、まだ、だらだらとしばらく肌寒い日々かと思えば、国際通り沿いの牧志公園では、ヒカンザクラが見ごろを迎えつつある。蛇行を繰り返すような季節の歩みの中でも、しっかりと春が近づく。天気予報では次の水曜日あたりから、最高気温が20度を超える日が続く予定という。

























暖かさが不気味な沖縄の冬 

 1月21日、那覇における今日の予想最高気温は22度である。ここ1週間の天気予報を見ても、20度前後まで気温が上がる見通し。この冬、「寒かった」と思ったのは、2週間ほど前に最低気温が10度を下回ったときくらいだ。まだ冬が終わったとはいえないが、そろそろ今帰仁など本島北部から緋寒桜が見ごろの便りが届く季節であることを考えると、このまま春に突入する可能性も結構あるだろう。

 そうした気候の影響か、住んでいるアパートの階段の壁に、今の時期には珍しく大きな蛾がとまっていた。新都心公園を早朝歩くと、ゴミが東屋の周りに散乱していた。前日の早朝、同じ場所にはなかったから、土曜日の夜に誰かが食べ散らかしてそのままにしたのだろう。最近はこのあたりで時々、ゴミの散乱を目にするようになったが、自分の記憶をたどる限りでは以前はそんなことはなかった。夜あまり冷え込まないから、公園で飯を食って騒ぐ輩が増えたのか、それとも公園でゴミを散らかしても気にしない輩が増えたのか。

 暖かいこと自体は心地よいが、季節感は失われ、生活のメリハリが消えてゆく。何かが変わりつつあることを感じる。手ごたえなく、すっとすり抜けるように。ぬるりとした感触に不快感が残る。







失われた沖縄の風景 

 

 9月9日、沖縄県立博物館で開催されている写真展「ウィルソンが見た沖縄 ―琉球の植物研究史100年とともに―」を見た。ウィルソンとは、100年前の沖縄を写真撮影した伝説のプラント・ハンター。同日午後には、ウィルソン研究家の古居智子氏の講演会があった。

 ウィルソンが沖縄を旅した目的は植物研究であり写真の主役は植物であるが、当時の住民の暮らしや街並みも写し込まれ目をひく。特に、赤瓦や茅葺き屋根の家々が並ぶ那覇の風景は、自然と人間の暮らしが肩を寄せ合う美しさがある。10メートルは優に超えるリュウキュウマツ並木が続く宜野湾の風景も、人間が培う文化と自然が溶け合ってきた歴史を感じさせる。しかし、これらの地域は今では米軍基地に変貌している。写真の中の風景が輝きを放つほど戦争の残酷さを改めて感じつ。ほかの撮影地点も、戦火を逃れても大半が近代化の中で本来の姿を失う。

ウィルソンが使用したガラス乾板写真では数分間、露光させねばならず、構図や天候、人物の配置など相当の準備が必要だった。ウィルソンは、中国旅行中の事故がもとで足が不自由にもかかわらず、まだ交通の便の悪い沖縄に17日間滞在、重い機材を運びながら写真撮影を重ね(発見されている写真は59枚)、100種類以上に及ぶ約600点の植物標本を採取した。沖縄を含め日本は近代化を急ぎ過ぎていることを憂え、「今記録しておかなければ」という思いに駆られたといわれる。

















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代表の編集雑記帳

猫ブームと那覇の街角 

 最近は世の猫ブームの影響らしく、那覇の市場界隈を猫目当てに訪れる観光客も時折見かける。看板娘ならぬ看板猫として飼っている店があるほか、野良にも寛容なおかげか、公園や道端にもわがもの顔で寝そべる猫の姿がある。猫は沖縄の風景の一部と化しているかもしれない。私も、猫と犬を比べれば、どちらかといえば猫派。特定の主人になつかず気ままに過ごす猫に、ついつい自分を重ねあわせる。天邪鬼の性格のおかげで、猫ブームの声を聞くうちに、猫の写真はあまり撮らなくなったが、沖縄に移り住んでまもない頃は、カメラを持って那覇の街角を歩き、猫を追いかけていた時期もある。当時の写真と見返すと、ふてぶていしい猫ばかりアップで撮っていた。可愛さだけでなく、こうした表情もまた猫の魅力である。












正月の首里城と出版展望 

 1月2日、今年初めて首里城に向かう道は、麓からずっと渋滞の車の列。首里城への観光客と初詣客が入り交じっているようだ。季節感の薄くなっている時代といっても、縁起物を求めて一度に人は動く。首里城観光の起点である首里杜館の入り口にふだんからあるシーサーの横には門松が並ぶ。

 正月を迎えられたというよりは、いろいろな仕事が重なって時間に追われるばかりだった年末を何とか乗り切りほっとした気分にひたる。足元だけを見ていた毎日から、心を落ち着かせ顔を上げると、目の前に広がるは出版業の茫洋とした先行きである。ここ数年、扱いが悪くなった書店が目につき、返品も早くなったような気がする。

 何よりもショックだったのは、編集の仕事を回してくれた上、弊社の本の製作から在庫管理まで協力してくれた会社が今月いっぱいで事務所をたたむことだ。こちらも出版業から身をひくつもりはないが、とりあえず在庫の行き先を探すのがせいいっぱいである。

 年々スピードを増す時代の流れ。抗って何も変えないのも1つの手だろう。しかし、私の場合はこのまま呆然と立つだけでは、よるべのない海まで流され藻屑と化す。何かを変えて乗り切る方法を考えなければならないことだけはひしひしと感じる。













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島暮らしジャーナル 過去の記事

基地を読む

 ・米軍ヘリのトラブル続きで本音!?

 ・沖縄の米軍ヘリ事故で日本従属が浮き彫り

 ・米軍ヘリの墜落と基地負担の粉飾

 ・沖縄から見える反米と石油禁輸の光景

 ・オスプレイが飛び続ける理由

 ・北朝鮮のICBMと沖縄の基地

 ・監視社会と日本

 ・お試し安保と改憲に普天間移設

 ・映像イメージの北朝鮮と沖縄

 ・沖縄の米軍基地と北朝鮮をめぐる危機

 「基地依存」にまつわる沖縄神話

 ・トランプ政権と沖縄

 ・沖縄から見える首相の真珠湾訪問

 ・飛行再開で那覇市上空にもオスプレイ

 ・ 軍用機飛び放題の沖縄の空

 ・各国の思惑入り乱れる沖縄

 ・北朝鮮政策と辺野古移設

 ・環境問題から捉える辺野古問題

 ・のどかな離島でも軍事訓練

 ・高江ヘリパッドと民主主義

 ・都知事選騒動の陰で新施設着工

 ・EU離脱と沖縄の基地

 ・基地被害を訴え続ける沖縄

 ・日米同盟を過信していないか?

 ・オスプレイ輸送を考える

 ・問われない基地負担軽減の真偽

 ・辺野古移設と宜野湾市長選

 ・小泉進次郎人気と宜野湾市長選

 ・宜野湾市長選や参議院選の予防線か

 ・軍用機飛び放題の那覇上空

 ・見え見えのディズニー宜野湾誘致

 ・提訴後の辺野古・抗議現場

 ・ヘリ護衛艦が米軍港に

 ・辺野古をめぐる政府内の茶番

 ・「辺野古監視3委員への寄付」を読む

 ・ユネスコと辺野古とメディア攻撃

 ・オスプレイの訓練強化と紛争のゲーム化

 ・罰せられない?米軍犯罪

 ・米兵犯罪と人権問題

 ・米軍基地と人権問題

 ・忘れてはならない米軍事故史

 ・嘉数高台から辺野古工事の中断を考える

 ・米軍機の部品や備品の落下事故が頻発

 ・繰り返される墜落事故

 ・枯れ葉剤を沖縄で投棄や散布と証言

 ・安全保障関連法案と枯れ葉剤

 ・抑止力を本当に信じているのか

 ・減らない沖縄の航空騒音

 ・沖縄に海兵隊は必要か

 ・なぜ抑止力の中身を問わないか

 ・慰霊の日を前に安保法制を考える

 ・ヘリ搭載護衛艦や海掃母艦も

 ・ホワイトビーチの自衛隊艦艇

 ・オスプレイのデータは信頼できるか

 ・初めに結論ありきのオスプレイ運用

 ・払拭できるかオスプレイの危険性

 ・復帰記念日に「九条の碑」を考える

 ・安倍首相の訪米から見えるもの

伝統芸能・行事

 ・素朴な調べが響く首里のクェーナ

 ・足を激しく踏み鳴らす汀良町の獅子舞

 ・月夜の首里城で歌や組踊

 ・知名のヌーバレー

 ・伊集の打花鼓

 ・北谷の南ヌ島

 ・葬送儀礼の移りかわり

 ・夜に催されていた那覇大綱挽

 ・ガーエーから綱の合体へ 那覇大綱挽の本番

 ・那覇大綱挽で盛り上げ役の旗頭

 ・沖縄の葬儀と墓を考える

 ・真栄里の大綱引は激しいぶつかり合いも

 ・休憩タイムもある糸満大綱引 

 ・地域によって違う沖縄の獅子舞

 ・中秋の名月と沖縄の獅子舞

 ・小浜島のダートゥーダー

 ・独特の所作が際立つ与那の海神祭

 ・神々しい空気漂う比地のウンジャミ

 ・エイサーとコンクール

 ・街角のエイサー演舞

 ・地域差が大きい南風原町の綱引き

 ・立つ創作・企業系のエイサー団体

 ・締太鼓を蹴り上げるエイサーも

 ・うるま市のエイサー

 ・エイサーの移り変わり

 ・部外者禁止の秘祭、アカマタ・クロマタ

 ・角をぶつけ合うヤギたち

 ・海で穢れを落とす浜下り
 
 ・月蝕の空と神ありし日々

 ・なぜ御嶽がそこにあるのか

 ・一段と華やかさを増すジュリ馬

 ・粟国島のマースヤー

自然と食

 ・暖かさが不気味な沖縄の冬

 ・失われた沖縄の風景

 ・真夏の朝にサガリバナ

 ・疑惑を追及する日米メディアの差

 ・梅雨入りした那覇と復帰45周年

 ・沖縄の花の季節

 ・沖縄で花開く熱帯木

 ・那覇でもデイゴが開花

 ・東京はサクラ、那覇はイッペー

 ・旧正月と立ち飲み屋

 ・ぴんとこないヤンバル世界遺産

 ・樽貯蔵の神村酒造を見学

 ・開発の波をもろにかぶるウミガメ

 ・増える希少動物の交通事故

 ・本島ではサンゴ礁10%以下が8割

 ・ヤンバルクイナが増えているかも

 ・真夏の清涼剤サガリバナ

 ・鮮やかな花をつけるホウオウボク

 ・ミジュンの煮つけ

 ・姿を変える沖縄の干潟

 ・本島南部の小規模酒造所めぐり

 ・離島の辛口泡盛を試す

 ・泡盛と焼酎の境界を考える

 ・自分へのご褒美で国華を購入

 ・泡盛の比べ飲み 咲元・珊瑚礁編

 ・離島フェアで黒糖焼酎

 ・ケラマジカとの遭遇

 ・野趣あふれる宇嘉川歩き

 ・激変する浜辺の風景

 ・台風15号接近中のフクギ

 ・表情を変えるヤンバルの川と生き物たち

 ・台風と夕焼け

 ・花をつけない那覇市の街路樹

 ・意外に難しいデイゴの満開

 ・カツオと沖縄の深い関係

 ・カルスト地形に揺れるテッポウユリ

 ・泡盛のブレンド力

 ・沖縄から見える塩づくり

 ・豆腐に懸ける沖縄の情熱


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代表の編集雑記帳 過去の記事

 ・ヒカンザクラが那覇市内でも見ごろ

 ・猫ブームと那覇の街角

 ・ 正月の首里城と出版展望

 ・日馬富士騒動の陰で消えたもの

 ・『首里城への坂道』に読む人生の形

 ・見えにくい保守と革新の境界線

 ・県産本フェア始まる

 ・旧盆ムード漂う沖縄の街

 ・加熱する沖縄の夏と憎しみの連鎖

 ・台風5号の接近と改造安倍内閣の発足

遠くなりゆく戦後と戦跡

 ・盛り上がらない那覇市議選

 ・トランプ流がはびこるグロテスクな時代

 ・謙虚さが失われて深まる権力者と忖度の関係

 ・疑惑を追及する日米メディアの差

 ・監視社会と日本

 ・沖縄を語る難しさ

 ・「火花」に感じた太宰の影

 ・雰囲気重視の就活

 ・日本の働き方と休み方を考える

 ・むなしく響く「プレ金」

 ・「安保条約5条適用」は手柄か?

 ・5地域の出版人が沖縄に集結

 ・リオ五輪は単なる反面教師か

 ・セミと大橋巨泉と参院選

 ・選択に挑んだ英国と選択を避ける日本

 ・振り払えない成長幻想

 ・沖縄の季節は一気に夏へ

 ・巨大な自然の力の陰で

 日本人の鉄道愛の功罪

 ・日本人は新幹線開通に弱くなったのか

 ・観光振興と社会的憎悪社会的憎悪

 ・総活躍社会に漂う戦前の香り

 ・食事のおやつ化の先にあるもの

 ・アイドルから政治家まで自分の言葉で語れない日本

 ・自宅で豆苗を育てる

 ・「建国の日」に国の起源を考える

 ・道徳授業の復活を考える

 ・琉球王国時代の気風を読む

 ・沖縄のクリスマス

 ・神のインフレ時代

 ・久高島で受け継がれる心と命

 ・那覇の熱帯夜と屋台村

 ・沖縄で考える人づきあい

 ・聖火と復帰前の沖縄

 ・沖縄県産本フェア16日開始

 ・「個性」探しの子どもたち

 ・日本人は幸福になったか

 ・沖縄とストレス

 ・首相談話と琉球王国

 ・壕の中の沖縄戦 

 ・台風12号の進路が急変か

 ・台風9号の余波が10日も続く那覇市内

 ・那覇の最高気温33.5度と台風9号の接近

 ・国の財宝を取り返した琉球の花街

 ・鉄道と沖縄の時間意識

 ・宮本常一が沖縄を訪れた理由 

 ・実現寸前だった宮古・八重山分割案

 ・沖縄と吉本隆明

 ・沖縄と中世の鬼を考える


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◆沖縄探見社について◆

沖縄にはヤンバルクイナやイリオモテヤマネコなどユニークで多様な生き物を育んできた自然があります。また、独立国「琉球王国」から日本への併合、さらにアメリカの支配下、そして日本への復帰という特異な歴史を歩んでいます。これらを知ることそのものも興味深く楽しいですが、本土にいたのでは感じにくい日本の光も影も、歪みも矛盾も直に感じられます。 

どこにいっても目抜き通りは、外から訪れた人に対して見栄えよく整えられています。土地の人々の気持ち、習俗、文化を知ろうと思えば、路地裏に回る必要があります。それと同じように、中央で「モノづくり大国」「伝統と儀礼の国」など日の当たる部分にばかり目を向けるだけでは日本のほんの一面しか分かりません。中央から最も離れ、取り繕うことからほど遠い「路地裏」沖縄では、日本のさまざまな面が見えてきます。沖縄を訪れようとする人はもちろん、さしあたって訪れる予定のない人も、「路地裏」からの目線で沖縄を、そして日本をとらえる相棒となるような本づくりを心がけています。




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