沖縄を深く知るためのガイドブック
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米軍基地と沖縄移民 <代表の編集雑記帳

 「人手不足が喫緊の課題。一日も早く改正案を成立させる必要がある」。外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法の改正案を、「生煮え」「中身がない」などと批判を浴びながらも、政府与党が改正案の成立・施行に向けて突き進む光景を見ていると、30年前のバブル期を思い出した。

あの頃も、声高に人手不足が叫ばれていて、南米などから日系人を労働者として取り込む動きが日本各地で起きた。新聞社で働いていた当時は、日系人労働者の問題を取材していたが、日系人側からよく聞かれた声は、「自分たちはモノ扱いされている」だった。実際、景気が悪くなると、クビになり帰国迫られたという話も聞いた。

さらに30年から40年、戦後日本を遡ると、逆に移民を送り出していた歴史に突き当たる。特に沖縄では、戦争による壊滅的な打撃に加え、もともと狭い島の平野部に巨大な米軍基地が建設されたおかげで、土地を奪われた住民は海外移住にしか希望を見いだせなかった時期もあった。しかも、これは沖縄移民にかぎらず日本移民全体的にいえるが、行政が移住先についてろくに調べないまま送り出し、その後も十分な支援をしなかった(写真は、ボリビアに入植した当時につくられた沖縄移民の家。1994年、入植40周年の記念式典のとき、再現された)。

外国人労働者の受け入れ拡大をめぐる現在の議論は、こうした戦後60年から70年におよぶ歴史を踏まえているようには思えない。国の産業政策や景気対策からみて、労働者を必要なら国外に送り出し、必要なら外国から受け入れる。生身の人間が、言語や生活習慣が異なる見知らぬ土地で暮らすための配慮や思いやりは見当たらない。これは外国人労働者に限らず、行政が根本原因の「少子高齢化」を語るとき、日本で働く労働者たちがどうすれば幸せになれるか、の視点は感じられない。


 


 






ネコブームと大阪万博
 <代表の編集雑記帳

 昨日(1123日)、首里の路地裏を歩いていたら、2匹のネコと出会った。体の模様が似ていて、互いの距離が非常に近いところから親子やきょうだいなのかもしれない。こちらへの警戒心をもちながらも、ゆったりと2匹のペースで過ごす。典型的な飼いネコではないが、人間とはつかず離れずの関係を保つ。近年はネコブームといわれるが、身の丈に合った成熟社会に向かおうとする空気が投影されているのかもしれない。

 もちろん、誰しもネコが好きなわけではなく、ネコに自分の理想像を重ね合わせるわけではない。分かっていたつもりだが、いまだにでっかい打ち上げ花火をあげて、大量の資金を投入して大型イベントを開きたがる人がいまだに結構、日本にいることを改めて思い知った。今朝(1124日)の、2025年の大阪万博決定のニュースである。

 報道によれば、建設費は1250億円であり、国、大阪府・市、経済界が3等分で負担する。2800万人の入場者を見込み、人件費など事業運営費820億円のうち9割を入場料収入で賄う計画。万博開催による経済効果は1.9兆円と試算しているという。2020年の東京五輪の例で分かるように、たいてい大型事業の経費は膨らんでしまう。入場者数だってどれだけの根拠があるのだろう。1970年の大阪万博のように、経済が上り調子でありながら大型イベントが少ない時代ならともかく、低成長期に入る一方、さまざまなイベントが各地で繰り広げる現代日本において、万博がどれだけ人を引きつけるか疑問符がつく。

 こうした空気は世界的だろう。今回の2025年万博に立候補したのも、日本以外では、ウクライナ問題などで国際的に複雑な立場にあるロシアと、オイルマネーが豊富なアゼルバイジャンだけ。どこかキナ臭さを感じる。フランス・パリも立候補したが、途中で辞退した。

2025年の大阪万博は決まったから、やるしかないのだろうが、大幅の赤字を出し負の遺産にならないことを期待したい。その意味ではマスコミをはじめ良識ある人々の監視が大きな役割を果たすだろう。ただ、最近のマスコミは、新幹線の開通報道に象徴されるように、イベント主催者と一緒にはしゃいで、本当に後世の負担にならないか事後検証があまり見られないのが気になる。












なぜ今、戦時の性暴力か <沖縄探見社の本

 前週の台風24号に続いて、今週も台風25号の強烈な風雨に襲われ、10月4日は、部屋に一日じゅう缶詰の日となった。何で凄まじい自然の脅威がこうも続くのかと思った。だが、2日後の6日は、晴れあがり爽やかな微風が心地よい。9月までのうだるような暑さは跡形もない。新都心公園付近を歩くと、台風が巻き上げた海水を浴びたせいだろう、街路樹の多くが葉を落とし、草原が黄色く染まり秋の訪れを告げているようだ。

 ノーベル平和賞は5日、日本のメディアが予想していた韓国の文大統領や米国のトランプ大統領でなく、戦時の性暴力問題を訴えてきた医師と女性活動家に授与されることが発表された。今年は、派手なパフォーマンスを繰り広げる政治家よりも、地道に現場で活動を続ける在野の人々に焦点を当てたのだろう。しかも、戦時の性暴力という難しいテーマを取り上げたことは興味深い。

 今回の受賞者が活動する地域はアフリカと中東であり、日本から遠い地域だが、日本とは無関係とは言えない。戦時の性暴力は、「慰安婦」問題として近隣諸国との間で現在に至るまで摩擦を生み、特に韓国とは友好関係を築く上で大きな障害になっている。米国サンフランシスコ市が市民団体から慰安婦像と碑文の寄贈を受けたことをめぐっては、10月2日に大阪市が同市との姉妹都市解消を発表し、同市長側はこれを非難する声明を出すなど、他の国々にも波及している。

 また、沖縄では、戦時に準じるような性暴力を受けてきた重い歴史がある。その具体的な内容は弊社発刊の『沖縄の基地と性暴力』で記している。性はもともと表だって口にしにくいテーマであるせいもあり、個人の嗜好や人格の問題に押し込めがちだった。しかし、戦争や軍隊という文脈で読み直すと、強烈な憎しみや差別意識が背景に浮かび上ってくる。憎しみや差別意識は、軍隊が戦い、占領する上で推進力になると同時に、戦いや占領が生む産物にもなる。性暴力と真正面から向き合うことを避け続けた現代の日本において、憎しみや差別意識が姿を現わしつつあることは偶然ではないだろう。




 



「国会議員になった『隠れキリシタン』」 沖縄探見社の本

禁教時代を耐え抜いた信徒たちの「それから」

 

 今年7月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録され注目を集めているが、江戸時代にキリスト教徒が潜伏したのは長崎や天草地方だけではない。本書「国会議員になった『隠れキリシタン』 ―時代に翻弄された日系二世の肖像―」で紹介する福岡県大刀洗町の今村は、潜伏していたキリスト教徒の多くが明治以降、ブラジルへ移住したというダイナミックな歴史を持つ。

 ブラジルに移住した今村出身者から生まれた日系二世が、本書で焦点を当てる平田進である。彼は青年期を迎えた太平洋戦争前後、ブラジルと日本が敵対関係にある中、2つの国にルーツを持つ二世としてアイデンティティのありかに悩む。戦中を日本で過ごし、戦後はブラジルに戻って政界に進出し国会議員になり、両国の橋渡し役を務める。平田進を通して、宗教の自由が認められたはずの近代日本で、隠れキリシタンの末裔たちがたどった運命、彼らの「それから」を追ったのが本書である。

 





【本書のタイトル】

国会議員になった『隠れキリシタン』 

―時代に翻弄された日系二世の肖像―

 

【本書の概要】

 ・大きさ:B5判  ・総ページ数:192  ・発行:沖縄探見社

 ・著者:高橋哲朗  ・定価:本体価格1400円+税

 

【本書の構成】

 第1章 福岡県大刀洗町(今村)

 第2章 開拓地に教会を

 第3章 ブラジルに日系人学校を設立

 第4章 二つのナショナリズム

 第5章 戦争協力アナウンサー

 第6章 検閲の時代と日系二世

 第7章 ブラジルで「異分子」から再出発

 第8章 大臣からテロリストまで

 第9章 「ブラジルブーム」の陰で

 

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沖縄の基地と性暴力沖縄探見社の本

民家に押し入り女性の拉致も

戦中から現在まで続く悲劇の数々

A5判 全96ページ 定価1000円+税  沖縄探見社編・刊


基地に絡んで沖縄で繰り広げられた膨大な性暴力の歴史を振り返る本書の概要は次のとおり。

   目を覆いたくなる膨大な残虐事例

太平洋戦争に始まり、米軍統治下を経て、本土復帰後の現在に至るまで絶えることのない、性暴力の数々を紹介する。驚かされるのは件数の多さだけでない。屈強な男たちが大人数で暴行、武器を手に女性宅に侵入、抵抗する女性をメッタ突きなど、凄惨な事件が繰り返される。


  
戦争があおる性暴力の構造を分析

住民の意志とは無関係に、直接、間接に「戦争」に巻き込まれ続けた沖縄。増幅され巨大化した憎悪と差別意識は、飢えた野獣のように社会の最も弱い部分を探し出し徹底的に攻撃する。この構造は、沖縄の支配者が旧日本軍から米軍に転じても変わらなかった。

   犯罪を助長する風潮や法制度

沖縄が本土に復帰した後も、法の下の平等、人権の尊重、情報公開といった民主主義の基本原則よりも、米軍基地を優先させる法制度や風潮が犯罪を助長してきた事実は否定できない。殺人容疑で逮捕された米軍属は「逮捕されることは心配しなかった」と語った。



<関連記事>

なぜ今、戦時の性暴力か

(お試し読み! 本書を一部抜粋した内容を、こちらをクリックすれば見られます


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ヘリ事故の連続と沖縄差別 <沖縄探検社の本

 1月6日、米軍ヘリが伊計島に不時着した。1つひとつの事故だけに焦点あてれば、単なる「事故」にすぎない。しかし、伊計島への不時着は昨年1月にも発生し、昨年10月に東村でヘリ炎上事故が起き、前月13日には宜野湾市の小学校がヘリの窓落下という事故に見舞われている。事故を1つの流れの中でとらえ、本土でこれだけ連続するだろうか、本土で米軍が同じような対応するだろうかと考えるとき、「沖縄では仕方ない」「沖縄ではこの程度のことは構わない」という差別意識が働いているのではないかという重い疑問がわく。

 米兵による性暴力についても同じことがいえるだろう。弊社発刊の『沖縄の基地と性暴力』は、米軍統治時代に満ちていた差別意識を指摘している。それは単なる推測ではなく、あからさまなものであった。米軍の直接統治がなくなっても、米軍は日本の法律の及ばないところにあり、現在はそうした差別意識が消えたといえるだろうか。

『沖縄の基地と性暴力』は米軍統治時代の差別構造を次のように説明している。「日本兵による中国人女性への性暴力を描いた第1章を思い出してもらいたい(このホームページの「沖縄探見社の本」のコーナーで、『沖縄の基地と性暴力』の一部抜粋のうち「沖縄守備軍は中国で何をしたか」を参照)。小さな頃から中国人を蔑視すると同時に、「優越民族」日本人による世直しとして旧日本軍の中国大陸への侵攻を正当化してきた。実際に兵士となって、中国軍と戦火を交えるうちに中国人への憎悪と差別意識はさらに増幅し、女性への性暴力さえ罪の意識を失う。

 米兵による沖縄女性への性暴力も、日本兵を米兵に、中国人女性を沖縄女性に置き換えれば同じ構図でみられる。「ファシズム国家」「貧しく野蛮な未開国家」日本は、「民主国家」「豊かな文明国」米国によって打ち負かされ治められるべき存在とみなす。日本軍との戦闘によって被害が出れば、さらに日本への憎悪と差別意識が膨らんだ」

「例えば賃金では、米軍統治下の沖縄の人々は、本土の日本人や外国人との間には、意識的に大きな差をつけられた。沖縄タイムス1952(昭和27)年6月14日付によれば、本土企業の幹部は、同じ職種でも賃金格差があることを次のように認めている。『トラックドライバー等の普通労務者賃金(時給)は(中略)B円に換算すると2331銭から20円となり琉球労務者のトラックドライバー17円、軽トラックドライバー11円に比較しても大きな差がある。社として優秀な労務者に対して日本人労務者並の賃金を支給したいが、布令によって労務賃金が規定されているので、どうにもならない』。

1956(昭和31)年5月には、労働組合の国際組織である国際自由労連の調査団が訪れ、沖縄の労働条件などについて調査した。それによれば、次のように「人種差別賃金」が行われていると批判した。

国際自由労連が指摘した賃金格差

国籍     最高時給 最低時給

米国人    6.52ドル 1.20ドル

フィリピン人 3.77ドル 0.52ドル

日本人    1.03ドル 0.83ドル

沖縄人    0.36ドル 0.10ドル    

 差別は賃金だけでなく、労働条件や職場環境にも及んだ。1952(昭和27)年には、本土の土建工事会社である松村組、アメリカ人請負業者のVC、軍関係の機械修理工場KOTの3社で社会の注目を集める労働争議が発生した。いずれも、きっかけは突然の解雇だった。労働者の証言によれば、KOTで会社側の代表者と労働者たちが交渉していたところ、空軍警察官10人ほどが現れて労働者たちを警察本部へ連行、なぐったり壁に向かって立たせたりした後、解雇に同意させたという。3社いずれのケースも、労働者はストライキに踏み切ったり解雇撤回や退職金の支給を行政へ訴えたりしたが、要求はほとんど認められることなく争議は自然消滅に向かった」

「沖縄と同じように連合国の占領下にあったにもかかわらず、日本本土では1946(昭和21年)から1947(昭和22)年にかけて、労働者の基本的な権利を定めた労働三法(労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)が相次いで施行された。一方、沖縄で労働三法が成立するのは1953(昭和28)年7月(施行は同年10月)である。しかも、米軍はあらかじめ布令を発して、軍雇用員をこの労働三法の適用範囲から除外した。

差別待遇を感じるのは賃金や解雇手続きだけではなかった。軍関連の職場に1951(昭和26)年就職した元衆議院議員の上原康助氏は著書『基地沖縄の苦闘―全軍労闘争史』で次のように語っている。『50年代前半までは沖縄人を人間扱いせず、まるで虫けら同然だった。沖縄人とも呼ばず、琉球人、またはローカルネイティヴ(地方人または土人)という呼称を意識的に使い、お前らは日本人ではないのだ、という態度で徹底した差別政策を押しつけた。便所も、米人専用(注・本土からきた日本人も使用)と沖縄人用を区別した。むろん、米人専用は設備も立派であった』。コーヒーショップや簡易食堂があっても、沖縄の人々は利用できなったという」








すさまじい終戦直後の米兵性犯罪 <沖縄探見社の本

1117日から、うるま市在住の女性(当時20歳)を暴行殺害したなどとして、強姦致死、殺人、死体遺棄の罪に問われている元米海兵隊員で軍属だった男(33歳)の裁判が那覇地裁で開かれているが、終戦直後の米兵による性犯罪のすさまじさは顧みられることは少ない。この状況をみれば、米軍関係者による性犯罪に注目する報道に疑問を投げかけ「性犯罪は日本人でも起こす。たまたま米軍関係者だっただけ」という言葉は出てこないだろう。弊社発刊の『沖縄の基地と性暴力』は次のように説明している。 

「沖縄女性が狙われるのは外出する時だけではない。戦後まもない時期、夜中に米兵が集団で押しかけ女性を拉致する事件も頻発した。あらかじめ女性がいる家に目星をつけておいたようだ。家族が助けようと抵抗すれば、米兵は銃を持っていて発砲も躊躇しない。まさに強盗団の振る舞いである。女性は自宅にいても心休まらない時代であった。

本部町の男性(当時55歳)による証言である。

 「私の家の近所に照屋松助という頑丈な男がいた(中略)そこに突然銃を持った2人の米兵が現われ、妻子に乱暴しようとした。たまりかねた彼は起き上がって来て米兵の前に立ちはだかり、『私も海軍にいたことがあるが、君たちのように非道なことをしたことはない、さっさと帰りたまえ』とどなりつけた。言葉は通じなかったものの、その場は何事もなくおさまり、米兵らはいったん引き上げたかに見えた。ところが、間もなく米兵らが戻って来て、彼を叩き起こし、銃をつきつけて前へ歩くように命じ、前の原っぱに連れ出していきなり射殺したのであった。(中略)

昼のうちにそこらを徘徊していた数人の黒人兵は、家の中に何人かの女性がいるのを見ていたのであろう。その晩おそく、黒人兵らが突然その家の中に踏み込んで来た。大声をあげて逃げまどう婦人たちを追いかけ、1人ずつわし掴みにして闇に消えた。相手は銃を持つケモノたちである。その場に居合わせた男たちには、どうすることもできなかった」『沖縄県史10 沖縄戦記録2』(国書刊行会 1974年)

このほか、次のような具体例がある。

 ・1946(昭和21)年4月7日、首里市(現在の那覇市)の自宅で夕食後、28歳の女性は夫と雑談していたが、3人の米兵が侵入、夫を押さえ込み強姦される

 ・同年6月13日深夜、小禄村(現在の那覇市)の男性宅に米兵2人が侵入。男性が大声をあげると、米兵は逃走しながら拳銃を発射、屋内で寝ていた2人の女性がけがを負う

 ・同年6月22日午前零時半ごろ、小禄村の自宅で46歳の女性が寝ていたところ、米兵(黒人)3人が侵入、拳銃で脅迫して軍部隊の兵舎へ拉致される。同日午前4時ごろには、大里村(現在の南城市)の自宅で19歳の女性が寝ていたところ、雨戸をこじ開け侵入してきた米兵(白人)3人に拉致される

 ・同年8月18日、首里市の男性宅へ米兵3人が侵入。男性が妻や近所の女性をかばって抵抗すると、米兵の1人から切りつけられ頭にけがを負う

 ・1947(昭和22)年9月22日、27歳の女性が大里村の自宅で寝ていたところ、トラックで乗りつけた4人の米兵が侵入、女性を連れ去る

 ・同年10月1日、28歳の女性が越来村(現在の沖縄市)の自宅で寝ていたところ、米兵が侵入して女性を取り押さえた後、畑の中に連れ込んで強姦し拳銃で頭部をたたき殺す」

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路地裏からの沖縄旅

首里城周辺> <那覇市中心街・市場周辺

沖縄本島南部> <沖縄本島中部

沖縄本島北部> <沖縄の離島

沖縄の信仰・宗教





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路地裏からの沖縄旅 ニューピックアップ


路地裏に横たわる沖縄の墓 




 

 本土並みが多くなっている沖縄だが、本土並みへの進み具合はモノによりきりである。最も進行が遅いのは墓ではないかと思う。人生をどのように終え、家族をどのように葬るか、人生の重い判断である。本土並みが溢れる中でも、なかなか変わらないのは当然だろう。


 本土では飾り気のない石柱を積み重ねた墓が主流だが、沖縄は、亀の甲羅を思わせる亀甲墓や、三角屋根が乗る破風墓のほか、崖を掘り抜き前面を石垣で固めた掘り込み墓など、いずれも人の住居を思わせる大きさがある。近年は核家族化が進み、大型の墓を維持するのが大変になったせいもあり、だいぶ小型化しているが、それでも家形(いえがた)の基本を崩していない。

もともと、亀甲墓や破風墓は士族のみに認められた墓であり、一族の権力や富を誇る目的があったのだろうが、現世と同じようにあの世でも安息の住居を持てるようにという思いも込められたらしい。琉球王国で最初の破風墓であり王家の墓である「玉陵(たまうどぅん)」(写真右)は、同時の首里城を模したといわれる。報道によれば、玉陵は近く、県内の建造物としては初めて国宝に指定されるそうだ。


沖縄の墓が大型化したのは、死者の葬り方とも関係しているらしい。沖縄で長年続いた「洗骨葬」では、まず遺体を棺のまま墓の中に安置し、数年経った頃、取りだして骨を洗い清め壷に納める。このため、棺がまるまる入るスペースが必要であり、火葬とは異なり故人の骨をすべて納める大きな骨壺が並ぶことから、内部に広い空間を持つ墓になったという説を聞く。ちなみに洗骨葬は戦後しばらくも続き、火葬が県内で一般的になるのは1960年以降。現在も洗骨葬が残る島もあるという。

墓のある場所も、県外との違いが目につく。県外では墓はたいていお寺の境内にまとまって建てられるが、沖縄では仏教が庶民にあまり広まらなかったせいもあり、街中にも点々と存在している。「死」は忌み嫌うものではなく、生活風景の一部であり、「生」の意味を浮き立たせ同時に輝かせる存在なのかもしれない。

ただ、継ぐ家系が途絶えたり、面倒をみられる人が近くにいなくなったりして放置される墓が増えるという全国的な流れは、沖縄にもひとひたと押し寄せる。草や蔓に埋もれ人の目から消えかかる墓も少なくない。少しずつ沖縄でも私たちの視界から「死」は遠ざかっていくのかもしれない。











変わる那覇市・市場周辺の風景 

 那覇市・牧志公設市場を新しく建て替える準備が進んでいる。公設市場そのものには手をつけられていないが、公設市場の建て替え作業中に営業する仮店舗は、数十メートルほど離れた「にぎわい広場」に設けられる方針であり、広場にあった児童館がすでに取り壊された。新聞報道によれば、2019年度着工だそうだが、完成予想図が出されていないようなので、どんな市場になるか素人にはイメージしにくい。

 素人ついでに言えば、今の公設市場の古めかしく猥雑とした雰囲気に魅力を感じ、観光客を集めるのも、その雰囲気のおかげとも思う。市場で商売をする人たちもそのあたりを感じているのだろう、事業者側から市場の「長寿命化」案が出されたという。しかし、築地市場があれだけ観光客を引き付け根強いファンが多かったにもかかわらず、最終的には豊洲へ移転したように、古い物の寿命を延ばし使い続けることは相当ハードルが高いのかもしれない。

 大きく景観が変わりつつあるのは、公設市場と関係の深い国際通りにも当てはまる。かつてはドーム型の建物が目をひいた映画館「国映館」の跡地の前を久しぶりに通ったら、巨大なクレーンがそびえていた。高級ホテルが建つそうだ。国際通り界隈は、観光ブームのおかげだろう、高層の高級ホテルが次々とつくられている。














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路地裏からの沖縄旅 地域別



首里城周辺

 ・首里城からの夕日

 ・玉陵で感じる死者との距離

 ・船がさかのぼった松川地区 

 ・感謝の気持ちを忘れない沖縄 ~松と水に恵まれた松川地区~

 ・心なごむ首里の路地裏

 ・首里城で感じる歴史の感触

 ・首里城に琉球独自の漆塗り技法

 ・首里城城郭の曲線美を味わう

 ・首里城から最高の展望

 ・仏教と琉球王国

 戦争の記憶をとどめる首里城のアカギ

 ・ツワブキと首里城

 ・首里城の祈りを再現

 ・多くの聖地を抱える首里城

 ・首里城の未公開区域を歩く

 ・首里城の時間感覚 

 ・美しいアーチの石橋

 ・ライトアップされた首里城

 ・「座る」文化からみた首里城

 ・首里城が放つ空気感

 ・首里城と龍の関係を考える

 ・沖縄戦で使われた糸数壕とスパイ容疑

 ・削除された「慰安婦」「住民虐殺

 ・首里城に残る日本軍司令部壕跡

 ・スフィンクス的なシーサーと筋肉質のシーサー

 ・「首里城」の読み方と目的

 ・首里金城町の共同井戸

 ・国王も雨乞い祈願

 ・首里金城町の石畳道と井戸

 ・首里の路地裏を龍潭池から北へ


那覇市中心街・市場周辺

 ・路地裏に横たわる沖縄の墓

 ・変わる那覇市・市場周辺の風景

 ・空き店舗が目立つ市場界隈

 ・浮島時代の那覇を思い浮かべ

 ・どう変わるか、農連市場周辺

 ・海洋国家・琉球王国の残影

 変わりゆく那覇のスピード

 ・沖縄のチャイナタウン

 ・沖縄の風景となった花ブロック

 ・那覇市の中心に古墳群

 ・那覇市は「国際」ブームの先駆け?

 ・浮島・那覇の変遷をみる

 ・天ぷらと那覇の変わりゆく風景

 ・浮島・那覇の名残

 ・那覇市にたたずむ塩田跡の碑

 ・沖縄におけるペリーの足跡

 ・戦後復興の原点と王国時代の名残

 ・那覇マチグヮーのレトロな看板 

 ・那覇市の中心で川の上に延びる商店街

 ・那覇市場の名物、ユンタクと猫

 ・近代日本最初の海外派兵は?


沖縄本島南部

 ・海に目を向けた琉球王国

 ・中城湾を臨む坂道に歴史の名残

 ・八重瀬町の琉球古民家

 ・巨岩と亜熱帯樹が絡み合う斎場御嶽

 ・斎場御嶽にたてこもった敗残兵たち

 ・南風原陸軍病院壕の惨状


沖縄本島中部

 ・普天間の過去と今がみえる嘉数高台

 ・浦添グスク跡に首里の原型を見る

 ・勝連城からの絶景

 ・荒波打ち寄せる岬の灯台 

 ・海中道路の複雑な風景と歴史

 ・浜比嘉島のエイサーと路地裏


沖縄本島北部

 ・国頭村のリゾート地区・鏡地

 ・豊かな実りと奥間集落

 ・味わい深い与那の集落

 ・神秘の空気漂う塩屋湾

 ・下から見上げた瀬底大橋

 海上を走る感覚の古宇利大橋

 ・奥行きを感じさせる羽地内海

 ・離島や本島北部に残るフクギと石垣の風景

 ・買い物弱者を支える共同売店


沖縄の離島

 ・闇夜に浮かぶフクギ並木

 ・高台から眺めた渡名喜島

 ・沖縄で一番高い城跡は? 久米島の宇江城城跡とは?

 ・2つの具志川城跡の物語

 ・魚の群れを眺める阿嘉島の北浜ビーチ

 ・慎ましやかな離島の灯台

 ・白保のサンゴ礁 魚湧く海

 ・竹富島の家並み 無駄を削ぎ落とした美 

 ・竹富島の夕日 移ろいゆく海と陸と雲

 ・渡嘉敷島の渡嘉志久ビーチ

 ・平久保埼灯台 絶妙なコントラスト

 ・久米島東海岸 おだやかな遠浅の海


沖縄の信仰・宗教

 ・沖縄のテラとは何か

 ・沖縄の土帝君信仰

 ・沖縄の霊石信仰

 ・沖縄の蔵骨器と龕 

 ・琉球は中国寄り?日本寄り?

 ・どこにあるかレトロな郵便ポスト


 
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沖縄探見社の本

『データで読む沖縄の自然環境』

50年で大きく変貌したサンゴ礁

希少種を追いつめる新たな天敵

・今脚光を浴びる沖縄の自然

沖縄県内では、国際的に重要な湿地として5カ所がラムサール条約登録地。国立公園も「西表石垣」「慶良間諸島」に加えて、新たに「やんばる」(沖縄本島北部)が指定される見通し。世界自然遺産登録をめざした動きが活発化する。

・何が沖縄の自然をむしばむか

 一方、現状を見渡すと、沿岸部の開発や埋め立て工事、赤土の流入、外来種の侵入、地球温暖化、さらに米軍基地がまき散らす有害物質など希少な動植物や国内随一のサンゴ礁への脅威は大きい。 

・図表も使って分かりやすい解説

 やんばる(本島北部)の森からマングローブ林やサンゴ礁まで、沖縄の自然を網羅するデータを図表とともに使ってやさしい説明。専門性の高い内容についてはコンパクトで分かりやすい解説や背景説明を加えている。


さらに詳しい情報や購入方法はこちらをクリック

A5判 全112ページ 高橋哲朗著

定価1000+税 沖縄探見社発刊

 


 

データで読む沖縄の基地負担

沖縄における枯れ葉剤の投棄・散布疑惑

毎月のように起きる航空部品・備品の落下紛失

事故が続くオスプレイの恐怖


 


沖縄の基地問題をめぐって、日々伝えられる情報やデータは断片的で、時として専門的な用語をはらんでおり、分かりにくいことが多い。そこで、分野ごとに関連する情報やデータを結びつけ時間軸に沿って並べ替えるとともに、やさしい説明を入れ解きほぐすことによって、基地負担の全体像がみえてくる。近年起こった基地問題に関するデータを網羅。



A5判 全128ページ 沖縄探見社編

定価1100+税 沖縄探見社発刊


基地問題は「普天間」だけじゃない

 航空機騒音、米兵犯罪、事故の危険、環境汚染、さらにベトナム戦争時代の「遺産」枯れ葉剤問題も終っていない! 豊富なデータで浮かび上がる実態

 新たな基地負担を問う

 隠蔽と不信の連鎖が渦巻く中でオスプレイを配備。「アメとムチ」で普天間基地の辺野古移設が強引に進められる。負担軽減と呼べるのか

基地をめぐる「歴史認識」

 沖縄の基地問題を真に理解するためには、本土防衛の「防波堤」となった沖縄戦や、本土の反基地運動を緩和するために実施された海兵隊の沖縄移転を踏まえる必要がある

(続き、詳しい解説や購入方法はこちらをクリック)









天才・岡本太郎を驚嘆させた民俗芸能を味わう!

「沖縄の伝統行事・芸能を歩く」






A5判、全128ページ、並製本、高橋哲朗著


本体価格1,100円+税












・沖縄の多様でユニークな行事・芸能を紹介

 天才・岡本太郎を「こんな小さな島の中に、どうしてあんなに数多く、豊かに残っているのか」(『沖縄文化論 忘れられた日本』より)と驚嘆させた民俗芸能を、沖縄に今も息づく旧暦文化に沿って紹介する 

・写真を多用し地域ごとの特色や伝統の由来を解説

 同じ季節の節目でも沖縄では本土とまったく異なる行事が行われる。また、沖縄の中でもエイサーや獅子舞、綱引きなどは地域ごとの違いが際立つ。豊富な写真とともに地域の特色や伝統の由来を解説する 

・自分の目と耳で堪能する! 開催・鑑賞情報も掲載

 観光県・沖縄では伝統行事・芸能を気軽に見られる機会は多い。エイサーをはじめ地域のイベントの中で頻繁に上演されるからだ。こうしたイベントの開催・鑑賞情報もふんだんに盛り込んでいる。 

続きはこちらをクリック






<そのほかの既刊本>

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     (沖縄戦の「狂気」をたどる) (沖縄・米軍基地データブック) (いかに「基地の島」はつくられたか

                          
          (沖縄で自分史・記念誌をつくる) (国会議員になった「隠れキリシタン」) (沖縄エコツアーガイドブック





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島暮らしジャーナル 


基地を読む


沖縄戦後史が語るもの 


 「強固な日米同盟」。安倍首相がことあるごとに繰り返す。メディアも特に論評を加えずに伝え、国民の間にも一応納得するような空気が流れる。しかし、沖縄から見れば、大いなる疑問が浮かぶ。それはイデオロギーや専門的な理論から導き出されたものではない。27年間の直接統治を含め、戦後米軍と間近に向き合ってきた歴史が物語るのである。米軍はあくまでも組織の論理と国益に基づき動くのであって、駐留する住民を守るためではない。場合によっては住民に銃剣を向けることさえ厭わない。

 こうした軍をめぐる歴史は、太平洋戦争中の旧日本軍を含め、たびたび沖縄から発信されてきた。にもかかわらず、というか、むしろ本土における反応が薄くなっている。一番の典型は沖縄県知事選だろう。ここ2回続けて、辺野古新基地に反対する候補が、政府自民党が推す候補を大差で破っているにもかかわらず、本土側の具体的な行動につながらない。辺野古新基地への反対も、米軍施設への拒否反応、つまり沖縄の「わがまま」に矮小化されがちである。

沖縄の「わがまま」論が繰り広げられる時は、たいてい沖縄の歴史に関する議論がすっぽり抜け落ちている。もともと知らないのか、知っていてあえて無視するのか分からないが、沖縄の歴史に触れることはほとんどない。米国で広がりつつあるトランプ流の思考方式が日本でも根を張りつつあるという気もする。自分にとって関心のない意見や心地よくない指摘は、どれだけ事実を並べても無視するか、「嘘の情報だ」と切って捨ててしまう。互いに溝が深まるだけで、接点を見つけることが難しくなるばかりである。

 写真は今年8月、沖縄市で移転新装オープンした沖縄戦後文化資料展示館ヒストリート。戦後史の中で米軍に比重が大きい沖縄ならではの施設だろう。







 


普天間の移転先選びは沖縄の責任か 

 新聞からテレビまで沖縄は「安室奈美恵の引退」一色である。9月30日投開票予定の県知事選挙はまったく埋もれてしまった感がある。ただ、「引退」が重ならなくても、県知事選挙に対する関心は4年前に比べると、かなり低いことは明らかだ。

 4年前はまだ本格的な工事が始まる前であり、何よりも、沖縄の保守本流だった翁長雄志氏が辺野古新基地反対に回ったことにより、現状を変えられるという高揚感があった。しかし、安倍政権側は1枚も2枚も上手だったと言っていいだろう。

工事や調整を長期化させながら着実に前に進める手法である。県民の間に広まった高揚感も、長引けばやがて冷え込み、諦めに変わると読んだのだろう。辺野古新基地をめぐる司法判断も、政権の意向を「忖度」したとのではないかという内容であり、県内だけでなく国内の空気感を変える手助けとなったようだ。

 辺野古新基地・反対運動に対する批判も、一つひとつは決定的ではないにしろ着実に影響を与えてきただろう。中でも強い違和感を覚えたのは、「辺野古に代わる普天間基地の移設先案を出せ」と反対派に求める声である。反対するなら代案を出せという論理は一見、もっとものように聞こえる。

しかし、基地のように、受け入れ側の反発が避けられない「迷惑施設」について、「我々はいやだけど、あそこに持っていって」と別の場所に押し付けるようなことができるだろうか。実際、「迷惑施設」の受け入れ側が、代案としてほかの場所を提案することはもちろん、「代案がない」と受け入れ反対派が批判されることも聞いたことがない。日本の安全保障上、米軍基地は必要だけど、沖縄県内にとどめておきたいという、本土の暗黙の合意が働いたと言わざるを得ない。












 

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伝統芸能・行事

メリハリのきいた獅子の動き 




   


1028日夕方から、うるま市の安慶名闘牛場で「第33回全島獅子舞フェスティバル」を見た。玉城(南城市)、宮平(南風原町)、勝連南風原(うるま市)、天願(同)、田場(同)という5地域の獅子舞と勝連南風原のウスデーク(うるま市)が披露された。全島獅子舞フェスに来るのは久しぶりだが、獅子舞の魅力は「静」と「動」、威厳あふれる王と激しい野獣の動きが混在し、メリハリがきいているところと改めて思った。


 寝そべって、ゆっくりと腹や背中を波打たせるシーンから始まる獅子舞もある。徐々に動きを速め、頭や体を大きくひねったり、雄叫びをあげるかのごとくのけぞったりする。体を低く構えスフィンクスのように腹を地面につけて頭をあげ、顔をゆっくり動かして辺りをうかがうかと思えば、寝返りをうつように体を左右に回転させる。クライマックスが近くなると、時にはすくっと2本足で立ち上がる。2人1組で演技しているから、獅子の中では1人がもう1人を肩車するのだろうが、そうした作業を感じさせない、滑らかな動きである。


 沖縄の獅子舞で特徴的なのは、獅子を刺激する役目の演者がいることだろう。男性または男の子が、毬(まり)のついた紐を振り獅子を興奮させることが多いが、この日上演した宮平の獅子舞は初めて目にするパターンだった。獅子の登場前に露払い的な意味を込めて棒術の演舞が行われることは珍しくないが、宮平の獅子舞では、棒術の使い手と獅子が組み合って格闘する。この後、さらに毬つきの紐を持った2人の少女が獅子の前で踊る。これも初めて見たパターンである。獅子が想像上の象徴的な存在であるというより、直接対峙しかかわかのような生々しい存在であることを思わせる演目だった。















薄れゆくお盆の感触 

 今日8月25日はお盆の最終日、ウークイ。台湾付近にある熱帯低気圧の影響だろうか、サッーと雨が降ったかと思えば、雲が割れて青空と太陽が顔を出し、しばらくすると、雲が空を覆いサッーと降り出す。熱帯のスコールのような天気を繰り返している。沖縄の天気も熱帯化しているのだろうか。

 沖縄も那覇の中心街だけを見ると、ふだんとほとんど変わらない。明るくディスプレイされた土産物店や飲食店はいつもどおりに開店し、観光客が途切れることなく行き交う。昔ながらの店の中には、旧盆ゆえに店を閉めることを告げる張り紙がぽつりぽつりとあるが、独特の空気感はない。

 子供のころ、お盆が近づくにつれて独特の空気が漂い次第に濃くなるのを感じた。霊魂のようなものが集まってきているという感覚だったと思う。しかし、近年はそうした空気を感じることはほとんどない。1年をのっぺり真っ平らにして、途切れることなく同じサービスを提供し続けるという方向に社会が動いている。効率と便利さを求めれば、仕方ないのかもしれない。

 このまま日本はどこへ向かっていくのだろうか。新しい年中行事や祭りをつくり出す動きもある。その典型がハロウィーンだろう。普段とは違う自分に変身し日常を引っくり返す。地域共同体や宗教的意味合い、歴史の積み重ねは求めず、同じ感覚や趣味を持つグループが集まり、それぞれの年中行事や祭りを築くしかないのだろうか。

















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■自然と食■


狂い始めたか沖縄の気候 

昨日、熱帯低気圧から台風になった7号が、明日は沖縄本島に接近するという。台風の発生場所が、ここ2,3年かなり沖縄に近づいている。

 今日30日は朝から、空模様がめまぐるしく変わる台風特有の天気になっている。薄い墨を幾重にも重ねたような不穏な雲が慌ただしく空を駆け抜けたかと思えば、青空が広がり夏の太陽が顔を出し、しばらくすると再び灰色の厚い雲が空を覆い、強い雨粒が家々の屋根に打ち付ける。そんな繰り返しである。

 セミの鳴き声も聞いた。今年初めてだと思う。次第に音量が上がり、頭上を飛び交う大合唱へと変わっていくのだろう。あの狂気じみた鳴き声を聞くと、毎年何か落ち着かない気分。「命を燃やせ! 干からびて動けなくなる前に」とせかしているように思える。 












通りを彩るホウオウボク 

  

 伝説の鳥「鳳凰」を連想させることから名付けられたホウオボク。花のつきがよい年と悪い年があるように思えるが、今年は当たり年ではないだろうか。県内各地で鮮やかな花を咲かせている。那覇市内では、モノレール牧志駅前広場のホウオウボクがひときわ目立つ(左写真)。本島北部でも所々みられるが、宜野座村の国道329号沿いのホウオウボクは強力な存在感を放つ(右写真)。この幹の太さは那覇市内ではなかなかない。













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代表の編集雑記帳


溝が深まる日韓関係 <代表の編集雑記帳

 

 アメリカ・ロサンゼルスに住む友人から韓国系アメリカ人について憤りの言葉を聞いたことがある。第二次世界大戦中、旧日本軍が韓国人女性を慰安婦に駆り立てたとする慰安婦像の建設を韓国系住民らが計画し、仕事中にも慰安婦問題を持ち出し面と向かって日本人を非難するという。友人はもともと韓国人を嫌うタイプでなく、むしろリベラルな考えを持っていただけに彼の発言にはショックを受けた。

 筆者は10年余り前までロサンゼルス近郊に住んでいたが、日系と韓国系の関係はずいぶん変わったと思う。ロサンゼルスの韓国系コミュニティーを取材した時も、日本の植民地時代ついて触れることはもちろん、日本人であるがゆえに不快な思いをした経験はなかった。この変化は、日本国内でも明らかだろう。ほんの10年ほど前までは、韓流アイドルや韓流ドラマを散々もてはやしていたが、韓国に敵意を抱く発言がメディアを飛び交い、「徴用工問題」をめぐる韓国の最高裁判決では非難一色である。

 日韓関係だけでなく世界全体の傾向だろう。意見が一致しない相手と注意深く合意点を探るのではなく、敵とみなして「うそつき」「でたらめ」呼ばわりする。トランプ流の「言ったもの勝ち」スタイルであるが、トランプ大統領は裏に注意深い利益計算が働いている。自分の不利益になる相手ならば、さんざんこきおろすが、利益になると考えれば、手のひらを返したように褒めたたえる。北朝鮮がよい例だろう。しかし、トランプ流に煽られた人々は、「敵」とみなした相手をひたすら憎む。「敵」に少しでも有利になる情報をメディアが伝えても、フェイク・ニュースと頭から否定する。そんなおそれがあるだけに、トランプ流の蔓延は非常に危険である。












岐路を迎えた沖縄のアーケード 




 沖縄市の銀天街アーケードを歩いてみた。かつては買い物客でにぎわったというが、今は閉まった店が目立つシャッター商店街と化し人影もほとんどない。2014年に商店街組合が解散し、アーケード設備の老朽化も目立つ。屋根のところどころに穴が空き破片がぶらさがり、これを支える柱は鉄骨がむき出し。屋根が崩れて落ちる危険があることから、地元ではアーケードの撤去を求める声が出ている。

 かつてはアーケードといえば、地元商店街の中心的存在。雨の日も気にせず買い物ができる「近代的商店街」であり、ちょっとした薄暗さも、謎めいたワクワク感や特別感をかきたてた。しかし、郊外に大型店舗ができると、そちらに買い物客が引き寄せられた。気軽に車で乗りつけられ、しかも大量仕入れ大量販売で安く商品の種類も豊富。なかなか個人商店では太刀打ちが難しい。

那覇市のアーケード街も老朽化が目立ち、建て替えかアーケードの撤去かが問題。建て替えには少なくとも数億円の費用がかかる。にぎわう那覇市のアーケード街にとっても重い負担となり、なかなか実現には踏み切れない。沖縄でアーケードが誕生したのは、1970年代から80年代にかけての時代。40年かそれ以上が経ち、施設として耐用年数の限界が迫る。建て替えるか撤去するか岐路に来ているという。














破壊と再生を考える崇元寺 

久しぶりに崇元寺を歩くと、境内が明るくなったと思った。見上げると、頭上を覆っていた枝葉が大分なくなっていた。結構太い幹が途中から何本も折れている。折れた枝葉は、境内の隅に山のように積まれている。9月下旬から10月上旬にかけて相次いで沖縄に接近した台風のせいだろう。

破壊と再生を繰り返す。崇元寺の境内に入ってこの言葉が鮮明に浮かんだ。なんとなく自然の法則として耳にしていた言葉だが、「こういうことなんだ」と思ったのである。長年、境内の上空を覆っていた大木からすれば、台風の強風による被害は痛ましいことだが、枝が折れて明るくなることによって、まだ小さい若い木が日光を浴び伸びるチャンスが生まれてくる。ただ、自然界の変化は何の視点に立つかによって違ってくるが、自分が人間である以上、人間の視点から離れにくいのは仕方がないことだろう。





















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島暮らしジャーナル 過去の記事

基地を読む

 ・沖縄戦後史が語るもの

 ・普天間の移転先選びは沖縄の責任か

 ・駐留米軍の脅威が台風だった時代

 ・翁長知事の亡き後の沖縄

 ・新基地建設に反対する理由

 ・慰霊の日と軍用機の訓練

 ・訓練空域と化した那覇市上空

 ・埋め立ての進む辺野古沖

 ・那覇市上空を闊歩する早期警戒管制機

 ・日常化する軍用機騒音

 ・米軍ヘリのトラブル続きで本音!?

 ・沖縄の米軍ヘリ事故で日本従属が浮き彫り

 ・米軍ヘリの墜落と基地負担の粉飾

 ・沖縄から見える反米と石油禁輸の光景

 ・オスプレイが飛び続ける理由

 ・北朝鮮のICBMと沖縄の基地

 ・監視社会と日本

 ・お試し安保と改憲に普天間移設

 ・映像イメージの北朝鮮と沖縄

 ・沖縄の米軍基地と北朝鮮をめぐる危機

 「基地依存」にまつわる沖縄神話

 ・トランプ政権と沖縄

 ・沖縄から見える首相の真珠湾訪問

 ・飛行再開で那覇市上空にもオスプレイ

 ・ 軍用機飛び放題の沖縄の空

 ・各国の思惑入り乱れる沖縄

 ・北朝鮮政策と辺野古移設

 ・環境問題から捉える辺野古問題

 ・のどかな離島でも軍事訓練

 ・高江ヘリパッドと民主主義

 ・都知事選騒動の陰で新施設着工

 ・EU離脱と沖縄の基地

 ・基地被害を訴え続ける沖縄

 ・日米同盟を過信していないか?

 ・オスプレイ輸送を考える

 ・問われない基地負担軽減の真偽

 ・辺野古移設と宜野湾市長選

 ・小泉進次郎人気と宜野湾市長選

 ・宜野湾市長選や参議院選の予防線か

 ・軍用機飛び放題の那覇上空

 ・見え見えのディズニー宜野湾誘致

 ・提訴後の辺野古・抗議現場

 ・ヘリ護衛艦が米軍港に

 ・辺野古をめぐる政府内の茶番

 ・「辺野古監視3委員への寄付」を読む

 ・ユネスコと辺野古とメディア攻撃

 ・オスプレイの訓練強化と紛争のゲーム化

 ・罰せられない?米軍犯罪

 ・米兵犯罪と人権問題

 ・米軍基地と人権問題

 ・忘れてはならない米軍事故史

 ・嘉数高台から辺野古工事の中断を考える

 ・米軍機の部品や備品の落下事故が頻発

 ・繰り返される墜落事故

 ・枯れ葉剤を沖縄で投棄や散布と証言

 ・安全保障関連法案と枯れ葉剤

 ・抑止力を本当に信じているのか

 ・減らない沖縄の航空騒音

 ・沖縄に海兵隊は必要か

 ・なぜ抑止力の中身を問わないか

 ・慰霊の日を前に安保法制を考える

 ・ヘリ搭載護衛艦や海掃母艦も

 ・ホワイトビーチの自衛隊艦艇

 ・オスプレイのデータは信頼できるか

 ・初めに結論ありきのオスプレイ運用

 ・払拭できるかオスプレイの危険性

 ・復帰記念日に「九条の碑」を考える

 ・安倍首相の訪米から見えるもの

伝統芸能・行事

 ・メリハリのきいた獅子の動き

 ・旧盆を迎える沖縄

 ・宜野湾市大山区の大綱引き

 ・橋から飛び込む奥武島ハーリー

 ・月桃の季節と共同井戸

 ・地域ごとに違う清明祭

 ・素朴な調べが響く首里のクェーナ

 ・足を激しく踏み鳴らす汀良町の獅子舞

 ・月夜の首里城で歌や組踊

 ・知名のヌーバレー

 ・伊集の打花鼓

 ・北谷の南ヌ島

 ・葬送儀礼の移りかわり

 ・夜に催されていた那覇大綱挽

 ・ガーエーから綱の合体へ 那覇大綱挽の本番

 ・那覇大綱挽で盛り上げ役の旗頭

 ・沖縄の葬儀と墓を考える

 ・真栄里の大綱引は激しいぶつかり合いも

 ・休憩タイムもある糸満大綱引 

 ・地域によって違う沖縄の獅子舞

 ・中秋の名月と沖縄の獅子舞

 ・小浜島のダートゥーダー

 ・独特の所作が際立つ与那の海神祭

 ・神々しい空気漂う比地のウンジャミ

 ・エイサーとコンクール

 ・街角のエイサー演舞

 ・地域差が大きい南風原町の綱引き

 ・立つ創作・企業系のエイサー団体

 ・締太鼓を蹴り上げるエイサーも

 ・うるま市のエイサー

 ・エイサーの移り変わり

 ・部外者禁止の秘祭、アカマタ・クロマタ

 ・角をぶつけ合うヤギたち

 ・海で穢れを落とす浜下り
 
 ・月蝕の空と神ありし日々

 ・なぜ御嶽がそこにあるのか

 ・一段と華やかさを増すジュリ馬

 ・粟国島のマースヤー

自然と食

 ・狂い始めたか沖縄の気候

 ・通りを彩るホウオウボク

 ・今年もシロツメクサの季節に

 ・暖かさが不気味な沖縄の冬

 ・失われた沖縄の風景

 ・真夏の朝にサガリバナ

 ・疑惑を追及する日米メディアの差

 ・梅雨入りした那覇と復帰45周年

 ・沖縄の花の季節

 ・沖縄で花開く熱帯木

 ・那覇でもデイゴが開花

 ・東京はサクラ、那覇はイッペー

 ・旧正月と立ち飲み屋

 ・ぴんとこないヤンバル世界遺産

 ・樽貯蔵の神村酒造を見学

 ・開発の波をもろにかぶるウミガメ

 ・増える希少動物の交通事故

 ・本島ではサンゴ礁10%以下が8割

 ・ヤンバルクイナが増えているかも

 ・真夏の清涼剤サガリバナ

 ・鮮やかな花をつけるホウオウボク

 ・ミジュンの煮つけ

 ・姿を変える沖縄の干潟

 ・本島南部の小規模酒造所めぐり

 ・離島の辛口泡盛を試す

 ・泡盛と焼酎の境界を考える

 ・自分へのご褒美で国華を購入

 ・泡盛の比べ飲み 咲元・珊瑚礁編

 ・離島フェアで黒糖焼酎

 ・ケラマジカとの遭遇

 ・野趣あふれる宇嘉川歩き

 ・激変する浜辺の風景

 ・台風15号接近中のフクギ

 ・表情を変えるヤンバルの川と生き物たち

 ・台風と夕焼け

 ・花をつけない那覇市の街路樹

 ・意外に難しいデイゴの満開

 ・カツオと沖縄の深い関係

 ・カルスト地形に揺れるテッポウユリ

 ・泡盛のブレンド力

 ・沖縄から見える塩づくり

 ・豆腐に懸ける沖縄の情熱


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代表の編集雑記帳 過去の記事

 ・米軍基地と沖縄移民

 ・ネコブームと大阪万博

 ・溝が深まる日韓関係

 ・岐路を迎えた沖縄のアーケード

 ・破壊と再生を考える崇元寺

 ・台風24号が接近中の那覇

 ・色あせた言葉とぬるま湯の中で

 ・スコール化する沖縄の雨と「日本万歳」番組

 ・薄れゆくお盆の感触

 ・沖縄から見える忖度日本の行方

 ・浦添市美術館の北斎展

 ・ネコブームについて再び

 ・オウム世代の高学歴が抱える弱さ

 ・グアテマラの火山噴火を考える

 ・70年以上変わらない「上官命令」

 ・過去と向き合わない日本政府

 ・どこへ行った「主権回復の日」?

 ・ヒカンザクラが那覇市内でも見ごろ

 ・猫ブームと那覇の街角

 ・ 正月の首里城と出版展望

 ・日馬富士騒動の陰で消えたもの

 ・『首里城への坂道』に読む人生の形

 ・見えにくい保守と革新の境界線

 ・旧盆ムード漂う沖縄の街

 ・加熱する沖縄の夏と憎しみの連鎖

 ・台風5号の接近と改造安倍内閣の発足

遠くなりゆく戦後と戦跡

 ・盛り上がらない那覇市議選

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 ・謙虚さが失われて深まる権力者と忖度の関係

 ・疑惑を追及する日米メディアの差

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 ・沖縄を語る難しさ

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 ・雰囲気重視の就活

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 ・むなしく響く「プレ金」

 ・「安保条約5条適用」は手柄か?

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 ・「建国の日」に国の起源を考える

 ・道徳授業の復活を考える

 ・琉球王国時代の気風を読む

 ・実現寸前だった宮古・八重山分割案


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◆沖縄探見社について◆

沖縄にはヤンバルクイナやイリオモテヤマネコなどユニークで多様な生き物を育んできた自然があります。また、独立国「琉球王国」から日本への併合、さらにアメリカの支配下、そして日本への復帰という特異な歴史を歩んでいます。これらを知ることそのものも興味深く楽しいですが、本土にいたのでは感じにくい日本の光も影も、歪みも矛盾も直に感じられます。 

どこにいっても目抜き通りは、外から訪れた人に対して見栄えよく整えられています。土地の人々の気持ち、習俗、文化を知ろうと思えば、路地裏に回る必要があります。それと同じように、中央で「モノづくり大国」「伝統と儀礼の国」など日の当たる部分にばかり目を向けるだけでは日本のほんの一面しか分かりません。中央から最も離れ、取り繕うことからほど遠い「路地裏」沖縄では、日本のさまざまな面が見えてきます。沖縄を訪れようとする人はもちろん、さしあたって訪れる予定のない人も、「路地裏」からの目線で沖縄を、そして日本をとらえる相棒となるような本づくりを心がけています。




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