沖縄を深く知るためのガイドブック
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沖縄の自然と食

沖縄で花開く熱帯木

 

 亜熱帯という気候のおかげで、熱帯の木々も根付き沖縄の風景となっている。その一つがトックリキワタだ。名前のとおり、幹の真ん中が膨らみトックリのような形はそれだけで十分目立つ。さらに、秋には、大柄のピンクの花が枝全体を覆う、華やかな姿が目をひく。その後、大きなアボガドのような実がつき、今の季節はその実が割れて、白い綿毛が顔を出す。地面に落ちた綿毛を、宝物のように拾い集める人もいる。見慣れない人にとっては、物語の世界からやってきた不思議な樹木である。

 ブラジルの沖縄移住地を訪れた人が種を持ち帰ったのが、県内におけるトックリキワタの始まりといわれる。熱帯の激しい生存競争の中で存在を誇示し、種として生き残るため、こうしたユニークな姿に形を変えたのかと思いたくなる。ほかの植物に紛れ込みそうな、どこか控え目な温帯の草木とは異なり、自己主張を続ける熱帯木の魅力に抗うことは難しい。








那覇でもデイゴが開花

全国ニュースではソメイヨシノの満開やそれに伴う花見が伝えられているが、那覇市内では沖縄を代表する花の一つ、デイゴの花が見られるようになった。ただ淋しいことに、木全体が燃えるように花をつける本来の姿はなかなか目にすることが難しい。市内の新都心公園に何本ものデイゴが植えられているが、最近はどれも木の一部にしか花がつかず慎ましやかな開花である。写真は牧志公園のデイゴだが、これでも多く花をつけている方だろう。

市内の街路樹では、ホウオウボク、トックリキワタ、イペーなどが鮮やかな花で目を楽しませてくれるが、いずれも沖縄に自生している木ではなく、外国から持ち込まれた樹木ばかり。環境の変化に強く見栄えのよい木が幅をきかせている。デイゴのような在来種が力を失っていく光景は、どこか日本社会を象徴している気がする。








東京はサクラ、那覇はイッペー

 東京でサクラの開花が伝えられるこの時期、那覇市内ではイッペーが大ぶりな黄色い花を咲かせた。あたりがぱっと照らされる、明るい花である。首里ではピンク色のイッペーも見られる。公園の芝生のあちこちにシロツメクサが湧きあがるように白い小さな花をつける。デイゴの燃え上がる赤々とした花も開き始める。沖縄はようやく花の季節を迎えている。









ぴんとこないヤンバル世界遺産

 政府は1月19日、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」を世界自然遺産への登録を求める推薦書をユネスコ(国連教育科学文化機関)に提出することを決めた。2018年の世界遺産登録を目指すという。

 これまで世界遺産に登録されるとなると、地元の動きが目立っていたが、これまで那覇で見聞きする分には、ほとんど盛り上がりを感じず高揚感も覚えない。もし、それが私だけでないとすれば、沖縄本島北部、通称「ヤンバル地域」の状況が関係しているのかもしれない。

 昨年12月、ヤンバル地域において米軍北部訓練場の一部が返還されたものの、まだ結構な面積が米軍の訓練場にとられている。地元住民の反対にもかかわらず、新たにヘリパッドが建設されオスプレイが飛行する。世界遺産登録もオスプレイ訓練隠しと疑っても不自然ではあるまい。

また、森林伐採や林道建設によってかなりの部分が本土復帰以降、開発されてきた。今回世界遺産の登録をめざすのは、ヤンパル地域の中央部の細長い区域に限られ、これでどうやって貴重な自然が守れるのだろうかという気がする。

 ヤンバル地域の開発実態は弊社の『データで読む沖縄の自然環境』で次のように紹介されている。

復帰後に進んだ森林伐採

沖縄戦の終結後、不足する燃料を補うため木を切り薪にしたが、鉈やのこぎりで切れる範囲だった。沖縄が本土復帰に復帰すると、重機を使った本格的な伐採が始まる。1979(昭和54)年から1991(平成3)年までの13年間で、約24平方キロメートルの森林が切り倒された。これは、米軍演習地を除くと、やんばるを代表する樹木、イタジイ自然林地域の半分に相当する面積である。県内木材の年間生産量は1985(昭和60)年の3万2000立方メートルをピークにして、1990年代は1万数千立方メートルで推移、2000年代に入ると1万立方メートルを割り込むことが多くなっているが、近年も一定地域の森林をまるごと刈り取る皆伐(3ヘクタール以上)が、<表1>のように実施されている。

<表1>近年実施された国頭村の皆伐

 年   地区  面積

2009年 宜名真  3.3ha

 2010年 辺戸   4.7ha

    宜名真  4.3ha

2011年 佐手   4.8ha

2012年 辺戸   4.8ha

宜名真  4.1ha

    与那   3.0ha

2013年 奥    4.8ha

    謝敷   3.8ha

※出典:『生物多様性保全の視点から考える やんばるの今と未来』(日本森林生態系保護ネットワーク、やんばるDONぐり~ず 2014年)

森が皆伐されると、直射日光や風の吹き抜けによって土壌が乾燥、湿潤な環境を好む、やんばるの動植物にとっては棲みにくい上、栄養分をたくさん含んだ腐植土も強い雨に直接さらされ流れ出しやすくなる。ノグチゲラ、ヤンバルテナガコガネ、オキナワトゲネズミなど固有種が巣づくりに欠かせない大木が、その区域から消えることにもなる。

さらに、林道が、森の湿った空気を押し流して乾燥化を進め、ただでさえ少ない生物たちの生息区域を分断し破壊するなど環境に大きな打撃を与えると指摘される。沖縄本島北部では、林業の作業用に加え、地元住民の生活用や森林リクリエーション用として、本土復帰以来、2007(平成19)年4月までに63路線、総延長距離247.9キロが建設された。そのうち、国頭村が最も大きく32路線、132.7キロを占める」








樽貯蔵の神村酒造を見学 

 

 酒造所めぐりで悩むのが古酒の試飲である。一般酒ならば、たいてい無料で試飲できるが、古酒となると、お値打ちものなので必ずしも試飲できるとは限らない。試飲させてもらえたとしても、気を使っておそるおそると遠慮がちになる。

 先日見学したうるま市の神村酒造は、25年と10年の古酒を有料で試飲できた。10年ものの方は、芯までトロトロに溶けたようなまろやかさを持つ一方、25年ものは瓶の中で熟成させおかげらしく、芯がしっかりしたまろやかさであった。

瓶を1本まるごと買う金銭的な余裕はないけれど、せっかく酒造所を訪れたのだから、なかなか一般店舗で手に入らないような古酒をちょっと味わってみたい時には、有料試飲はうってつけの制度である。1杯ならば手頃な値段であり気がねなく注文できる。

 神村酒造は工場とは別に、試飲や販売のための建物があり、規模の割には力を入れているようだ。室内には、木製の椅子とテーブルが並び、ちょっとした食事ができるスペースもある。工場内では樽の山が目をひく。泡盛には珍しい樽貯蔵の「暖流」が蓄えられている。樽のおかげで独特の香りとこくを伴う。








開発の波をもろにかぶるウミガメ

 

海に囲まれた日本では、古くから海の生き物たちとのかかわりが深いが、その中でも、ウミガメほど親しまれてきた生き物はないだろう。愛嬌のある風貌に加え、海中を優雅に泳ぐ姿は神秘的である。「浦島太郎」をはじめ各地に伝わる昔話や伝説に登場するとともに、長寿の象徴として崇拝されてきた。しかし、身近である分、人間社会の変化の波をもろにかぶる。弊社から刊行された『データで読む沖縄の自然環境』は、近年のウミガメをめぐる状況について次のように説明している。

 「<表4>全国のアカウミガメ産卵回数

2004年 3562     2009年 4710

2005年 3405     2010年 6951

2006年 1919     2011年 6323

2007年 2141     2012年 9661

2008年 6771

  環境省自然保護局生物多様性センターの「モニタリングサイト1000ウミガメ調査 20042012年度とりまとめ報告書」によれば、アカウミガメの上陸産卵数は1990年代、減少傾向にあったものの、2000年代に入ると、<表4>のように増加基調に転じる。

 しかし、日本ウミガメ協議会の松沢慶将会長は、「著しい地域格差」があると指摘する。「屋久島や宮崎でこそ爆発的な増加を見せている一方で、四国や本州などでは依然として回復の兆しがみられないか、あったとしても非常に弱いものにとどまっていることには注意が必要である」。徳島県阿南市の蒲生田海岸では1960(昭和35)年ごろ、年間800回ほどの上陸があったが、ここ20年ほどは50回を超えた年はない(★1)。また、八重山諸島の黒島・西の浜では1980年代、毎年1040回の産卵があったが、2000年代に入ってからは5回未満にとどまっている(★2)。 

<表5>南西諸島におけるアオウミガメ産卵回数

2004年 161     2010年 258

2005年 114     2011年 137

2006年 107     2012年 265

2007年 136     2013年 359

2008年 103     2014年 199

2009年 112 

 アオウミガメについては<表5>のように、2004(平成16)年から2009(平成21)年まで年間100回から160回の間だったが、2010(平成22)年から年ごとに大きな増減を繰り返し安定していない。2012(平成24)年の増加は、それまで年数回しか記録されなかった種子島・長浜の急増が要因と考えられる。2014(平成26)年も、前年から減少したものの、最も多かったのだが種子島・長浜だった。

黒島・西の浜も、急にアオウミガメの産卵が確認されるようになった調査地点。1970年代から1980年代にかけてアカウミガメの産卵の方が多かったが、1990年代から急にアオウミガメが確認され始め、現在ではアカウミガメを上回るようになった。地球温暖化の影響で海水温が上昇し、高い水温を好むアオウミガメの産卵地が北上している可能性がある」








増える希少動物の交通事故

 

 森が切り開かれ開発が進むと、沖縄の希少動物にさまざまな影響が及ぶが、交通事故の増加がその一つである。弊社が最近発刊した『データで読む沖縄の自然環境』は次のように説明している。

「<表2>ヤンバルクイナの交通事故

1998年 11)     2007年 2321

1999年 11)     2008年 1916

2000年 33)     2009年 2016

2001年 44)     2010年 3331

 2002年 43)     2011年 3729

2003年 65)     2012年 4745

2004年 66)     2013年 3529

 2005年 1212)    2014年 4743

 2006年 1312)    2015年 3736

※カッコ内の数字は死亡事故件数

<表3>ケナガネズミの交通事故件数

2006年 11)     2011年 2524

2007年 22)     2012年 99

2008年 11)     2013年 1515

2009年 55)     2014年 88

2010年 1717)    2015年 11

※カッコ内の数字は死亡事故件数

希少動物たちの交通事故が頻発している。特に目立つのがヤンバルクイナ。環境省那覇自然環境事務所によれば、<表2>のように、1998(平成10)年と1999(平成11)年は年間1件であり、2000年代前半も年間数件だったが、2000年代後半になると2桁を記録するようになり、2010年代は年間3040件で推移している。ケナガネズミについても、<表3>のように、2009(平成21)年、2010(平成22)年ごろを境に増加傾向が読みとれる。

 原因としては、森林開発が進んで本来の生息地を追われていることが考えられる。人間の生活区域に入り込む機会が増えている上、側溝にたまった土に昆虫やミミズが生息するなど道路が格好のエサ場になっていることも指摘される。

 西表島だけに生息する国の特別天然記念物、イリオモテヤマネコ(※1)にとって、交通事故は最大の脅威といわれる。発生件数は2012(平成24)年が2件、2013(平成25)年が6件、2014(平成26)年が4件、2015(平成27)年が3件。1978(昭和53)年から2016(平成28)年3月までに延べ件数が71件、うち死亡事故が68件を占める。ヤンバルクイナに比べると少ないようにみえるが、イリオモテヤマネコの推定生息数がわずか100109匹(2005年―2007年の環境省調査)であることから、事故の影響は小さくないといえよう。

 イリオモテヤマネコは山奥よりも山のふもとにひろがる森林の湿地や川の近くにすみ、昆虫や魚、カエル、ヘビ、ネズミなどを食べる。沿岸部を走る島唯一の幹線道路が生息域の中を通るため、ヤマネコは道路を横断せざるをえない。活動範囲が人間の生活区域と重なる部分も多く、農地改良や観光開発による生息環境の悪化が懸念されている」







本島ではサンゴ礁10%以下が8割

 沖縄といえば美しいサンゴ礁のイメージが強いが、実際にサンゴ礁の現状がどうなっているか語られることは少ない。結論からいえば、沖縄のサンゴ礁は全般的に低迷状態にあり、特に沖縄本島周辺のサンゴ礁は衰退が著しい。この点について、弊社が最近発刊した『データで読む沖縄の自然環境』は次のように説明している。

 「表6 沖縄本島周辺のサンゴ被度(サンゴが海底を覆う割合)

    非常に低い 54.4

    低い    24.6

    やや低い  13.6

    やや高い  6.0

    高い    0.9

    非常に高い 0.4

  ※全調査距離580kmに占める割合

  ※評価内容

   非常に低い→被度5%以下

   低い   →被度510

   やや低い →被度1025

   やや高い →被度2550

   非常に高い→被度75%以上」

 表6のデータは「沖縄県自然保護課が2009(平成21)年度から2011(平成23)年度にかけて、県内各地のサンゴ礁を調査した結果であり、各地域の海底がサンゴによって覆われている割合(被度)を表す。調査では、調査員がボートに引かれながら水深5メートル前後の海底を確認し(「マンタ法」と呼ばれる調査方法)、その被度を「非常に低い(5%以下)」から「非常に高い(75%以上)」まで6段階で評価する。さらに、数十メートル程度の範囲を泳いでサンゴ類の状況を観察する「簡易遊泳観察調査」による過去の記録と比べながら、県内のサンゴ礁がどう変化してきたかを追う」

「同調査によれば、最も状態の悪い被度5%未満の割合が一番高いのが沖縄本島周囲。<表6>のように、全区間580キロの54.4%と半分以上を占め、被度5~10%「低い」と合わせた被度10%以下の区間は、全体の79%にも達した。特に大浦湾から中城湾にかけての区間と、名護湾から浦添にかけての区間は被度5%未満が多い。一方、数は少ないものの、那覇空港沖や古宇利島東、大浦湾など被度50%以上の地点もあった」

「簡易遊泳観察法による調査結果をもとに、沖縄本島におけるサンゴ被度の移り変わりをみよう。1972(昭和47)年の調査では、被度の平均値、中央値がともに50%以上に達し、70年代以前のサンゴ被度は高かったと推測される。1976(昭和51)年の調査では被度の平均値が20%を割り込み、その後、2004(平成16)年ごろまで、平均値、中央値ともに低いままの状態が続き、2005(平成17)年以降は平均値が20%を超え、わずかながら増加傾向がみられる」








ヤンバルクイナが増えているかも 

 近年の調査によれば、沖縄を代表する鳥、ヤンバルクイナやノグチゲラが増えている可能性がある。弊社で最近発刊した『データで読む沖縄の自然環境』は次のように説明している。

やんばるだけに生息するクイナ科の鳥であり、成鳥の体長は約35センチ。翼は退化し日本で唯一の飛べない鳥である。胸から腹にかけて白と黒の美しい縞模様や真っ赤なくちばしなど、愛嬌のある風貌が特徴的である。そのイラストや写真は観光パンフレットから自然保護の啓発書まで頻繁に登場する。

 国の天然記念物や希少野生動植物種に指定されるとともに、環境省レッドリストでは最も絶滅の危険性が高い絶滅危惧ⅠAにランクづけされている。環境庁(現在の環境省)が1985(昭和60)年度に実施した調査と、山階鳥類研究所が1996(平成8)年から2005(平成17)年にかけて実施した調査によれば、ヤンバルクイナの推計総数は1985(昭和60)年で1800羽だったのに対して、2004(平成16)年が810羽、2005(平成17)年が717羽と6割減少している。その後は1000羽前後で推移し、2011(平成23)年頃から回復傾向を示し、2014(平成26)年には1500羽程度まで戻ったとみられるが、実際の確認数は少なく生息数は安定しているとはいえない状況である。

 また、ヤンバルクイナと並び、やんばるだけに生息する鳥として知られるのがノグチゲラである。成鳥の体長は約30センチ、キツツキ仲間であり、全体的に褐色だが、羽には4列の白斑があり、雄の頭頂は赤い。頻繁に地上に降りてエサを探す習性は、日本国内に生息する遺伝学的に近い種でも見られず、本来、肉食哺乳類に襲われる危険性のなかった、やんばるで育まれたとみられる。沖縄県の県鳥であり、国の特別天然記念物や希少野生動植物種に指定されるとともに、絶滅危惧ⅠAに分類されている。

1887(明治20)年に新種として発表され、明治時代には恩納村でも観測されたといわれるが、戦後、生息域は急速に狭くなり、現在は大宜味村塩屋から東村平良のラインから北に限られ、生息数も400羽前後と推定される。ただ、名護市内の山林で2014(平成26)年に成鳥の雄と雌各1羽と幼鳥1羽が確認され、さらに2015(平成27)年には、つがい1組と幼鳥1羽に加え営巣も確認され、生息域が南へ広がっている可能性も出ている(★1)。

1:琉球新報2014年6月19日付、2015年5月14日付







台風接近前の夕焼け 

 昨日、台風1号が沖縄地方に接近するそうだが、那覇では何とも不気味な夕焼けが見えた。まさに嵐の前の何とかという雰囲気だ。台風が近づくと、このような濃いオレンジ色に少し黒が混じったような夕焼けをよく目にするような気がした。
















真夏の清涼剤サガリバナ

6月16日、梅雨明け宣言が出されると、沖縄では早朝から空気はじっとりと湿り気を帯びる。日中は30度を超える真夏の予感が漂う。「今日も暑さでぐったりするのだろう」と思いながら、新都心公園を散歩していると、サガリバナが花を咲かせているのをみつけた。薄桃色の毛玉のような花がふわふわと風に揺れる姿は爽やかであり、一服の清涼剤である。ハイビスカスのように大きく色鮮やかな花がある一方、サガリバナのように儚げな花もみられる。多様な顔を持つ沖縄の自然を象徴しているかもしれない。













鮮やかな花をつけるホウオウボク

 

那覇市役所前でオレンジ色の花を咲かせるホウオウボクである。これに限らず市内の主要な街路樹の一つであるホウオウボクは今年、鮮やかな花をつけるものが多い。ほとんど花が咲かない年もあれば、あふれ出そうな見事な花をつける年もあり、年によって大きな波がある気がする。今年の5月は例年に比べて暑かったといわれており、そうした気候が関係しているのか、それとも、何年に一度たくさんの花をつける周期があるのか興味深いところである。

 





 

ミジュンの煮つけ

 

近所のスーパーで聞きなれない魚が売っていたので、試しに買ってみた。読谷産で「ミジュン」という名前がパックに表示されていた。4匹で200円ちょっとという値段も心ひかれた。体長10センチほどの青魚であり、ぱっとみた印象はイワシに近い。醤油、酒、みりん、しょうがを入れて煮込んだ。肉はあっさりした白身であり、味もイワシに似ている。知人に「ミジュン」の調理法をたずねたら、新鮮なものならば、味噌をまぜてタタキにするとうまいと話していた。スーパーでは、耳なれない魚、見慣れない魚が並ぶことが多く、そうしたものを味わえることは沖縄で暮らす楽しみの一つである。







姿を変える沖縄の干潟


沖縄本島東海岸の中城湾では、泡瀬干潟における人工島の建設が注目を集めているが、同じ中城湾においては佐敷干潟でも静かに環境の変化が進んでいる。同干潟は中城湾の南端にあたる南城市にあり、60ヘクタールほどの広さがある。

連休中に地元の人とシュガー―ホール裏手の干潟におりると、生き物の動きが見当たらない。以前なら、うようよと蠢く多くのシオマネキが観察できた。浜辺に沿って東に歩くと、水門近くでトビハゼやシオマネキの姿に出合えたが、全般的に砂が押し寄せていることに気づく。特に、湾の東端に近い冨祖崎付近の干潟には小島のように砂がたまり完全に陸地化している。案内してくれた地元の人は、西原町や与那原町で行われた埋め立て事業「マリンタウンプロジェクト」や人工ビーチの建設作業が影響しているかもしれないと語っていた。







飽きのこない複雑な味わい

本島南部の小規模酒造所めぐり 

   

 3月10日、泡盛マイスター協会の酒造所めぐり研修に参加した。沖縄本島南部の酒造所4カ所を回ったが、比較的規模の大きな所2カ所、小さな所2カ所とバランスがとれ、違いが見えやすい研修だった。

 まず、規模の小さな酒造所について語ろう。この日訪れたのは、那覇市の津波古酒造(銘柄「太平」など)と八重瀬町の神谷酒造所(銘柄「南光」など)である。味はともに、甘めのすっきり系というよりは、苦味が混じった複雑系である。口当たりのよさというよりは、飽きのこない長く飲める泡盛を目指しているのだろう。

 一方で、それぞれの酒造所の方向性の違いも感じた。津波古酒造は昔ながらの味をまもりながら、毎月「感謝祭」(原則、第4金・土曜日)を開き地域の人たちと交流する。このときに限って販売する特別の古酒もある。その1つ30年ものの古酒を試飲させていただいたが、バニリンの豊かなコクと香りが口の中にしばらく残った。

 神谷酒造は2004(平成16)年、道路拡張工事のために現在地に移転したため、新しさを感じる建物である。多くの酒造所が新種の貯蔵にはステンレスタンクを使う中、半年ほど甕に貯蔵しているところが目をひく。また、現在、「ハイビスカス酵母」を使った泡盛も生産しており、そのために新しい蒸留器も導入している。






離島の辛口泡盛を試す 

 泡盛の品ぞろえが豊富な酒屋で「宮之鶴」を買った。たまたま見つけたが、これまでに飲んだことはなく、目にすることも初めてではないかと思う。製造元は石垣島の仲間酒造。県内の酒造所を紹介する本で調べてみると、家族経営の小さな酒造所である。そのためにあまり出回らない商品なのかもしれない。ラベルには、ひょうたんから酒を飲もうとする鶴が描かれ、ほのぼのし絵柄であり手作り感が濃い。

 味わってみると、しっかりとした辛口が前面にでてくる。ビターなチョコレートの味わいとともにスパイシーさも感じられ、なかなか個性的である。最近の泡盛がフルーティーな甘さのものが多いことを考えれば、独自路線を淡々と歩む酒づくりと思える。




















泡盛と焼酎の境界を考える 

 

 正月は帰省して東京・埼玉方面をうろつく間、焼酎を飲んでいた。沖縄を離れているうちは、泡盛以外の酒を味わってみたという訳である。まず試したのは貯蔵焼酎麦「隠し蔵」。見た目は黄金色で、味もウイスキーのようなとろみがある。しかし、ウイスキーのようなハネはなく、さっぱりとしたマイルドな味わいである。次に試したのは、甘さで知られる安納芋を使った「黄金安納」。まず、栓を開けただけでサツマイモの甘い匂いが鼻をつく。味も柔らかな甘さが前面に出ている。

 焼酎も各地の銘柄を片っぱしから味わったわけではないが、全般的にさっぱりとしたマイルドな口あたりのものが多い気がする。そういう意味では、泡盛との境界線がだいぶ曖昧になっているかもしれない。泡盛は全般的に、柑橘系の香りや甘味が特徴的であるものの、それは注意深く味わった場合。氷を浮かべて水割にすれば、焼酎との違いは感じにくいだろう。










自分へのご褒美で国華を購入 

 そろそろ年越しを迎える。今年1年をどうにか乗り切れたなと思い、ささやかながら自分へのご褒美として泡盛「国華」を買った。目の玉が飛び出るような値段ではないが、普段ならばちょっと贅沢すぎると思うのが、新酒の泡盛ならば「国華」か「春雨」である。

味を確認するためにテイスティングをしてみた。爽やかなキュウリの香りに、ほのかなメロンの甘味。スパイシーなチーズの味わいが印象的で、ハネはなくマイルドな口あたりである。「国華」を飲むのは久しぶりなので、以前の味をはっきり記憶していないが、スパイシーさはなく、まったりとした甘味が強かったような気がする。舌が変わったか、酒の方が変わったか、それとも別の種類の「国華」を飲んだのか。舌には自信がない私は判断しかねる。

 「国華」を製造する津嘉山酒造所は見学に行ったことがある。名護市の住宅街の真ん中にあることには少々驚かされた。建物はかなり年季が入っていて、沖縄風の座敷で雰囲気のある庭を見ながら試飲をしたことを覚えている。





















泡盛の比べ飲み 咲元・珊瑚礁編

12月2日の予想最高気温は26度。今年の沖縄は12月に入っても最高気温が25度超えるようだ。泡盛を飲むにはいい気候かもしれない。

たまたま手元にあった咲元酒造(那覇市首里鳥掘町)の「咲元」と山川酒造(本部町)の「珊瑚礁」を飲み比べてみた。酒造所を見学したことがあり、ともに大量に商品が市場に出回るというよりは、少量ながらこだわりをもってつくっているという印象である。特に山川酒造は古酒に力を入れているらしい。

味は対照的である。咲元はコクがあり、苦味の少ない辛口サッパリ系であるのに対して、珊瑚礁は苦味や酸味、甘味のバランスがとれた厚みのある芳醇系。最初の1口、2口はストレートで飲んで味の違いを感じてみたいところ。水で割ったり氷を入れたりすると分かりにくくなる。





















離島フェアで黒糖焼酎 

1121日、沖縄セルラーパーク那覇(那覇市奥武山公園)で開かれていた離島フェアをのぞいた。150を超える自治体、企業、団体が参加し、各島の特産品を展示・即売していたが、こうしたファアはどれを買おうか純粋に一つひとつ吟味していたら時間がいくらあっても足りない。自分の関心のある分野で目についたものを手にとり、結局買ったのは焼酎であった。

沖縄本島のお隣、与論島で唯一造られる黒糖焼酎「島有泉」である。生産量が少なく大半が島内で消費されると聞き、なかなか飲む機会がないと思い購入を決めた。普段飲み慣れている泡盛と同じくタイ米を使うが、泡盛とは大分味わいが異なる。泡盛はとろりとした甘味を感じさせる銘柄が多いのに対して、黒糖を使う島有泉の方がむしろ、ほのかな甘味のすっきりした飲み口である。今後も、同じ琉球文化であったはずが、県境を隔て異なる造り方をしている黒糖焼酎は試してみたいと思う。





















ケラマジカとの遭遇 

 阿嘉島に着いて10分経つか経たないかのうちに、北浜ビーチに向かう途中でケラマジカとばったり遭遇した。ケラマジカが慶良間諸島に生息することは知っていたが、こんなに簡単に目撃できるとは思ってはいなかったから、一瞬わが目を疑った。沖縄で野生の哺乳類は少なく、めったにみられないと思っていた。別の生き物と見間違っているかもしれない。しかし、どう見てもシカであり、飼われている気配もない。

 資料で調べてみると、ケラマジカは350年ほど前に薩摩から連れて来られたシカが定着したもので、日本で唯一、亜熱帯地域にすむシカだそうである。確かに、小さな離島の環境に適応するためだろう、ほかの地域のシカに比べ小さい気がする。また、野生の動物にしては警戒心が薄い感じがする。こちらに気づき、さらにこちらが少しずつ近づいても逃げる気配がない。注意を払いながらも草を食べ続けた。

 右手にケラマジカを見ながら横を通りすぎたと思ったら、すぐに左手に、シカの親子に気づいた。これもさほど警戒している様子はない。北浜ビーチから港に戻るときも、草むらの中に群を見たり、道を横切るシカと出会ったりした。島の人に尋ねると、普段からシカはよく見かけるそうである。














野趣あふれる宇嘉川歩き






(アカマタ)                 (ヒメハブ)                 (ハイ)                   (サクララン)

8月30日、国頭村の宇嘉川を歩く自然観察会が開かれ参加した。現在進行中の米軍ヘリポート建設計画によって影響を受けるとみられる地域である。宇嘉川は海に近いにもかかわらず、大小の岩がごろごろする中を複雑に変化しながら澄んだ流れが貫く。周りには深いヤンバルの森が広がり、響くのは参加者の話し声だけである。

この日目についたのはヘビだった。まず岩の上を歩いていると、ドサリと音がするので足元を見ればアカマタ。木の上から落ちたようだ。驚いて足を滑らせ、あやうくアカマタの上に尻餅をつくところだった。また、昼飯を食べ終わってぶらぶらしていると、さきほどまで昼飯を食べていたところから1メートルもない場所に、ヒメハブがとぐろを巻いているのに気づいた。何も気づかずにのんびり飯を食べていた自分を思い出し冷やりとした。

その後も、別の場所でヒメハブをもう1匹。帰る途中、ガラスヒバァらしきヘビとハイを見つけた。特にハイは近年見られなくなっているヘビだそうだ。電気コードのように細く小型だが、赤と黒の縦縞に一定間隔で輪っかのように白いラインが入り美しい。生物学上はコブラの仲間らしい。

隣の新川川でよく見かけたカエルはこの日、目にすることはできなかった。ヘビが多く捕食されてしまうせいか、逆に餌となるカエルが豊富なため、これだけ多くのヘビがいるのか。

2カ所で見たサクラランは不思議な花である。小さな花の半球状の塊が木の上から垂れ下がる。誰かが木にひっかけたように見える上、光沢がある花は規則正しい幾何学模様に似ていて人工物と思えてしまう。







激変する浜辺の風景 

沖縄では本土復帰の1972年から2010年まで、埋め立てられた海岸線は26.5平方キロ、八重瀬町の総面積に匹敵するという。沖縄は平地が限られている上、その平地も広大な米軍基地に奪われているため、産業が発展し住宅を供給するためにはやむを得ない面があったかもしれないが、埋め立て地の中には空き地が目立つ区域がある上、沖縄市の泡瀬地域や浦添市の西海岸地域でさらなる埋め立て計画があり、本当に必要な事業かどうか慎重な見極めが必要だろう。

加藤真著『日本の渚 ―失われゆく海辺の自然―』(岩波新書 1999年)は、海と陸が出合う渚がいかに豊かな自然を育んでいるかを描いている。日本の国土や領海全体からみればわずかな面積しか占めず、産業という面から見れば、役に立たない湿った土地や遠浅な海である。しかし、じっと目を凝らし、そこに棲む動植物に焦点を当てれば違ってくる。河口、干潟、藻場、砂浜、サンゴ礁、マングローブなど地域によって変化に富み、古くから多くの文化人に愛されてきた風景であう。さまざまな生き物の揺りかごとなり、これらを餌とする大型の動物たちを外界からも引き寄せる。水を浄化する機能も持つ。ここを埋め立てたりコンクリートで固めたりすることは、棲みついている生き物を死滅させるだけでなく、周辺の環境にも大きな影響を与えることが分かる。
























台風15号接近中のフクギ

8月23日早朝、那覇市の新都心公園付近を散歩していると、接近中の台風15号の影響だろう、ぱっと激しい雨が降ったかと思えば、ぴたりと止んで太陽が顔を出す。目まぐるしい天気の変わりようである。もくもくと発達した雲が遠くにそびえ、低いところを絡まった糸のような雲が足早に過ぎる。ひんやりとした一陣の風が吹く。ざわざわと胸騒ぎがする。

 街路樹のフクギが、オレンジ色の実をたっぷりつけている。大きさはビー玉からピンポン玉くらい。ミカンに似ていて美味しそうだが、食用に適さずコウモリや鳥の餌になるそうだ。また、ホウオウボクも咲き始めている。例年に比べ開花が大分遅いかもしれない。こうした実や花も、明日の台風通過で落ちてしまうのだろうか。









表情を変えるヤンバルの川と生き物たち




  

   
(キノボリトカゲ)               (アカマタ)                 (ハナサキガエル)             (ツマグロヒョウモン)

8月9日、東村を流れる新川川の自然観察会に参加した。ここは、米軍ヘリポート建設計画が進められている高江に近く、建設計画によって自然環境や集落への影響が懸念されている。

 新川川はイタジイの森を縫って流れる清流。集落の道路から川沿いにさかのぼると、川は頻繁に表情を変える。自然のプールのような深いゆったりした流れかと思えば、大小の岩の間を水しぶきをあげる急流に変身する。少し行けば、ゆったりとした流れに戻り、さらに歩けば荒々しさを再びみせる。

 森が真夏の日差しを遮り、豊かな水が空気を冷やしてくれるおかげで、滑りそうになりながら岩場を歩き続けても、ほとんど汗をかかない。時折、カエル、トカゲ、チョウ、トンボといった生き物たちが姿を現し、川辺を歩く者たちを飽きさせない。ポトリという水音に振り向くと、鮮やかなオレンジ色のアカマタが川の中から石の上へ這い上がり、ゆっくりと岩の間に消えていく。

しばらく歩くと、小さな滝がみえる。下には池のように広々とした空間が広がり、白い幾筋もの流れを静かな深い緑色の水面が飲み込み。大人も子供も飛び込み水遊びを楽しむ。







台風と夕焼け 

8月6日、台風13号が八重山地方に接近している。那覇市内は強風域に入らない見通しだが、ついさっきまで日が照っていた空から、急に雨が降りだしたり強い風が吹き出したりして天気が目まぐるしく変わっている。


年に何回か空全体が真っ赤に染まる夕焼けを見るが、台風が通過する前後が多いような気がする。台風のもたらす雲や水蒸気が関係しているのだろうか。写真は台風12号が通った直後の7月25日に撮影した。本土で見る夕焼けは侘しい気持ちや郷愁を誘うが、空全体を覆う沖縄の夕焼けはただ圧倒されるばかり。すべてを焼きつくすような迫力がある。









花をつけない那覇市の街路樹 


6月17日朝、那覇市の新都心公園を歩いていると、サガリバナが白いふさ状の花をつけているのをみつけた。時折、強い風が吹くせいだろう、木の周囲にはふさ状の花がちらばっていた。サガリバナが自生する水辺では、一晩で散った花が川面を埋めて浮かぶ光景をみられるそうである。細い糸を束ねたようなユニークな花も進化の過程で理由があって生まれたのだろうが、精巧な工芸品にもみえる花の運命には、自然の残酷さと偉大さが潜むのを感じる。

とりあえずサガリバナは順調に開花している一方、新都心付近の街路樹で気になるのが、デイゴとホウオウボクである。以前、デイゴについては花のつき方が悪いと書いたが、その後もほとんどの木が花をつけていない。デイゴはやや悪化の傾向を感じながらも、ここ何年かは同じような状態である。

特に異常のような気がするのはホウオウボク。毎年、鮮やかなオレンジ色の花をたっぷりつけているが、今年は一部の木の片隅に小さな花がつく程度しか見えない。開花を見落としただけの可能性があるものの、ホウオウボクは開花の後に巨大なサヤエンドウのような実がつくが、それもほとんど見当たらない。雨が少なく30度超えの暑さが続く気候のせいか、はたまた、一度植えたらその後の手入れがないという街路樹の生育環境のせいか、単に開花の時期が遅れているだけか。今のところ推測もできない。











意外に難しいデイゴの満開


今年も那覇市の新都心公園のデイゴが花をつけ始めたが、本当にポツリ程度である。まだ咲き始めだから断定的にはいえないけれど、あまり勢いを感じる咲き方ではない。ごつごつとした太い幹に、がっしりとした枝ぶりで存在感を放つデイゴであるが、最も輝くのは開花したときであろう。真紅の花がデイゴの木全体に広がると、そのあたりが燃え上がっているような見事さがある。さまざまな歌で取り上げられるなど、沖縄では最も知名度の高い花である。

しかし、私の見る限りでは、那覇市周辺では枝の一部で開花している姿しか見たことがない。花が木全体に広がっている姿を見たのは沖縄本島北部であり、それも数えるほどしかない。新都心公園をはじめデイゴがまとまって植えられるところはあるが、花の名所のような場所は聞いたことがない。

木にうまく栄養が行き渡っていないせいだろうか。デイゴは害虫に取りつかれると開花を妨げられると聞いたが、すべてそのせいだろうか。いずれにせよ、沖縄で歴史あるデイゴですら、人の手間や技術を注がないと、本来の美しさを引き出せなくなっていることは確かなようだ。






カツオと沖縄の深い関係

沖縄県のカツオ節消費量は全国でもトップクラスである。沖縄県における1世帯当たりの年間消費量は、全国平均294グラムの5倍を超える1698グラム(2011年)を記録している。沖縄そばのスープをはじめ、さまざまな汁物料理のベースはカツオだしであり、チャンプルー料理にも使われる。沖縄の伝統メニュー「かちゅー湯」はカツオ節が主役の料理。お椀にたっぷりのカツオ節と味噌を入れてお湯を注ぐ。


戦前は、県内各地でカツオ漁が行われ、鹿児島県や静岡県と並ぶ全国トップレベルの水揚げを誇ったが、戦後は燃料費の高騰や漁師の高齢化、キビナゴなど餌の不足などによってカツオ漁が姿を消していった。

県内で残る数少ないカツオ漁の基地である本部町では、もう一度カツオで町を盛り立てようと、関連するイベントを開いており、大型連休中から始まった「カツオのぼり」の飾りつけもその1つ。ただ、ここ数年、カツオの漁獲量の落ち込みが目立つ。大型船による捕りすぎが響いているという声も聞かれる。


















カルスト地形に揺れるテッポウユリ




黄金週間中、本部町の中心街から県道115号に沿って同町山里の斜面を上っていくと、テッポウユリが群れて咲く光景が見られた。この地は、石灰岩が雨や地下水で浸食されてできるカルスト地形でも知られる。長い年月を刻みゴツゴツとした白い岩肌を露出するカルスト地形と、凛とした姿のテッポウユリがマッチしている。
















泡盛のブレンド力




 那覇市国際通り沿いにあるHAPINAHA(元三越)の忠孝ブレンドショップで4月26日、泡盛のブレンドを試してみた。まず、最初に新酒(四日麹)、3年古酒、5年古酒、10年古酒、12年古酒の5種類が並べられ、それぞれ単独で味わう。次にスポイトを使っていくつかの酒をブレンドしてみる。どの酒が好みかによって店側がブレンドの例を用意しているが、自己流でやってもよい。

 面白いのは、年数の経っている古酒に新酒を加えると、熟成した味にさらに力強さや深みが与えられることだ。よくウイスキーについてはブレンドの重要性が語られるが、泡盛についてもブレンドによってかなり味が変わってくることを知った。

 これは特別新しいことではなく、古酒づくりの際、新しい酒を少しずつ足すことによって酒に力を与えるという仕次ぎの原理であり、知識としては知っていた。しかし、実際に自分で試して味わうのは初めての体験であり、新鮮な驚きがある。泡盛好きの人は、このブレンドの力を一度試せば、泡盛の新たな可能性を感じるのではないだろうか。










沖縄から見える塩づくり




沖縄に移り住んでから、食について気づかされることは多い。沖縄のような小さな島々からなる地域では、ふだん口にする食材がどのようにして手に入れられ作られるか見えやすいからだろう。

交通手段が限られた時代が長く続き、外部から食材を持ち込むことが難しいか、非常にコストがかかったため、基本的なものは身近なところで調達するかしかない。一方、本土にいれば地元以外から持ってくることは難しくはないが、産地が離れた場所である分、どのように手に入れつくられるかは見えにくい。

その最たるものが塩だろう。どこに行ってもあたり前のように手にはいり、味に違いを感じることはなかった。本土で暮らしている間は、ほとんどイオン膜交換塩、限りなく塩化ナトリウムに近い塩を食べていたことになるが、どうやってつくられるか知らず、気にかけることもなかった。

以前、ブラジルのシュラスコ(焼肉)を食べたとき、味付けは岩塩を水で溶かしたものを塗っただけと聞いて衝撃を受けた。下手なタレをつけるより全然うまかったからだ。しかし、このときは、ふだん私たちが食べている塩は海水からつくり、岩塩と違っているのだろうと漠然と思って、塩について深く掘り下げることはなかった。

それが変わったのは、沖縄でさまざまな自然塩がつくられていることを知ってからである。なぜ地域の塩を強調するのか関心を持つようになった。かつては、那覇市内にも塩田があり塩がつくられていた。ところが、本土復帰とともに、本土の「塩業近代化臨時措置法」が適用となり、電気を使って工業的に塩をつくる「イオン膜交換法」以外では、海水から直接塩をつくれなくなり塩田は廃止となった。1997年に塩の専売制度が廃止となり自由化されると、沖縄各地で伝統的な手法の塩づくりが本格的に始まった。地域や製法によって塩の味は違ってくることが分かった。













豆腐に懸ける沖縄の情熱




沖縄の豆腐を食べると、東京近辺で食べていた豆腐と一口で味の違いに気づくだろう。大豆の風味が濃厚であり重量感があり、やや硬め。さらに沖縄では熱いまま食べるのが正道だそうである。豆腐好きの人に言わせると、できたての熱いのが当然であり、水でひやし冷たいのは邪道らしい。

関係する資料に当たると、本土の豆腐は、大豆を砕いてどろどろにしたものを加熱してから豆乳とおからに分離、豆乳ににがりを入れて固めるのに対して、沖縄ではどろどろにした液体をそのまま絞って豆乳とおからに分ける「生しぼり」製法をとっている。また、本土の豆腐が1丁300400グラムなのに対して、沖縄はその3倍ほど(約1.1キロ)あるという。

宮里千里著『シマ豆腐紀行』(ボーダーインク 2007年)には、沖縄豆腐に注ぐ著者の情熱が綴られている。県内外、南米、アジアの各地を旅して豆腐を味わいながら沖縄豆腐の源流を探っている。

なぜ、これだけ豆腐にこだわるのだろうかと勝手に考えてみた。豆腐は炒め物から汁物まで、さまざまな料理に使われるものの、主食ではなく強烈な自己主張はしていない。本土の冷奴のように単独で食べることもないらしい。しかし、明らかに本土の豆腐とは違う。強い自己主張はしなくても、毎日のように食べるものだから、本土の豆腐に変われば違和感は大きい。著者が最後の方で次のように書いている危機感が、豆腐にこだわる原動力ではないだろうか。

「私などは納豆と日本酒は死んでも口にしませんと公言をしてきた。理由は簡単である。一九七二年の「復帰」以来、すさまじい勢いで「沖縄」が失われてきた。そこでせめてもの抵抗としてのNON納豆、NON日本酒なのだ」

スーパーなどで豆腐売り場をみると、今の沖縄でも本土風の豆腐が勢力を伸ばしつつある。本土の「水っぽい」豆腐に完全に慣れた私からすれば、豆腐の味にさしてこだわらないが、著者にとって体に染み込んだ豆腐の味は人生そのものかもしれない。














離島の塩づくりと自衛隊誘致

  

粟国島の港から自転車に乗って集落を抜け、野原の中の一本道を進むこと
20分余り、島の北端あたりにいくつかの小さな建物が固まる一角にたどりつく。「粟國の塩」を製造していることで知られる沖縄海塩研究所である。

飛び込みにもかかわらず、職員の方はいやな顔一つせず内部を案内して説明してくれた。私の前にも見学者がいたが、後にも見学者が次々と訪れていた。見学者の多さに驚いていると「小さな島ですから、寄る場所が限られています」と気にとめる様子もない。

近海でくみ上げた海水を、竹枝を伝わらせて流しながら風や太陽熱で水分を蒸発させ、さらに釜で煮詰め、脱水・乾燥させていく。塩をつくる工程は至ってシンプルであるが、製品ができるまで1カ月かかるという。

澄んだ海水、強い風と太陽という自然を存分に生かし、離島としては理想的な産物である。ここには十数人の人が働いているそうである。人口500人ほどの島としては、役場を除けば最も大きな働き口の一つだろう。

与那国島では、自衛隊の誘致をめぐって住民投票が行われ全国的に注目を浴びたが、どうやって人口流出を食い止めるかは離島共通の悩みだろう。与那国島は自衛隊の誘致を促進する方向で動くようだが、島の活性化という意味合いが濃いのは何とも寂しい。自立した産業を生むにしても、なかなか地元の人だけでは厳しく、外部からの力が必要なのも事実だろう。







ヤギ文化残る島

沖縄は古くからヤギの飼育が盛んといわれるが、沖縄本島中南部を回っている分にはほとんど目にすることはない。かつては貴重なタンパク源だったものの、現在では牛、豚、鶏といったほかの家畜が豊富に出回るようになっては存在が薄くなるのも仕方ないだろう。

しかし、先日粟国島に行った際には、道路脇の草むらでたびたびヤギの姿をみかけた。道路の横でじっと休憩するものもいた。港では、「ヤギ専用コンテナ」を見つけた。紐などの目印がついていて、飼われているヤギと思われる。人間に対する好奇心と警戒心を示しながらも、どこか飄々とした風貌が離島の風景に合っている。











フクギ並木はいかに生まれたか




 すっと真っ直ぐに伸び濃い緑の葉をまとうフクギ並木が集落を囲む景色は心和ませるものがあり、自然に寄り添いながら生きる沖縄の原風景といえるが、この風景はどのようにして生まれたのか。南島文化市民講座「植物からみたシマの原風景 ―フクギに守られる村落―」が1129日、沖縄国際大学で開かれた。フクギについて4人の研究者が報告し意見を交わした内容をまとめると、次のようなものになる。

今から270280年前にフクギ並木がつくられるようになったとみられるが、そのころから沖縄全体に広く推し進められたとはいえない。18世紀前半、蔡温が植林政策を積極的に取り入れ、その後、風水思想の普及もあり、村や屋敷を木々で囲む「抱護」が広まったが、フクギが推奨されたわけではない。資料面で見るかぎり、フクギが集落を取り囲む風景は比較的新しく、近代になってからではないか。

フクギは沖縄の固有種でなく中国から移入されたもので、自然の野山に自生することはない。日本に編入され近代化される以前の沖縄では、特にフクギがよく利用された形跡もない。八重山では建築材料として使われたが、沖縄本島ではその記録は見当たらない。沖縄の暮らしになじみ深いフクギがいつ頃、どのようにして広まったか分からないというのは意外であり、興味をそそられるところである。

やはり、フクギ並木の美しさから各地の集落で植えられるようになったのだろうか。

ちなみに、この講座で報告し討論した4人は以下のとおりである。

・崎浜靖(南島文化研究所所員、沖縄国際大学経済学部准教授)

  テーマ:景観構成要素としての屋敷林

・都築晶子(龍谷大学文学部教授)

  テーマ:「抱護」とは何か -風水と植林-

・仲程路芳(合同会社葵農園会長)

  テーマ:フクギの特性と活用法

・田名真之(南島文化研究所所長、沖縄国際大学総合文化学部教授)

  テーマ:王府の施策とフクギ









■竹富島で時間をかみしめて■


 

 

ザクッ、ザクッと白い砂利道を踏みしめながら歩く。ベルトコンベアのように進んでいた時間の流れが、一歩一歩自分の歩幅で刻む感覚になる。濃いブルーでいっぱいの空から降り注ぐ痛いほどの日差しを浴びながら、時折立ち止まり一息つき辺りを見渡す。石垣と赤瓦の家々は静まり返ったまま。再び歩き始めると、時間もゆっくりと歯車が回り出す。








■ヤンバルで古酒を味わう■

  

泡盛マイスター協会の古酒委員会のメンバーで、島袋正敏氏が営む名護市天仁屋の「黙々
100年塾 蔓草庵(まんそうあん)」を訪ね、10年を超える古酒を味わわせていただいた。

「蔓草庵」は、名護博物館長や山原島酒之会会長を務めていた島袋氏が、泡盛やものづくりなどの沖縄文化を残す拠点にしようとを開いた。室内に入るとまず目につくのは、棚に並んださまざな酒造所の泡盛の瓶や大小の古酒の甕である。古酒は1981年からつくり始め、甕の数は50にもなる。このうち、10年を超える古酒を試すことができ、つまみに、スクガラス豆腐とチーイリチー(豚の血の炒めもの)をご用意いただいた。 

島袋氏は、古酒とともに、地域の自然や食材、芸術品を味わう「古酒道」を提唱されているが、そのような場所が、ヤンバル地域に点在し、順番に回っていけるようになれば、沖縄の楽しみ方もぐっと深みを増すだろうと思った。






■泡盛酒造所めぐり■

泡盛酒造所の発酵タンク 泡盛酒造所の蒸留器
泡盛酒造所の甕 泡盛酒造所の試飲スペース

先日、泡盛マイスター協会が企画したツアー(名目は研修だったが)で沖縄本島北部の3つの泡盛酒造所を回った。琉球古民家での試飲や、醸造途中や醸造したての泡盛の試飲など、酒屋で買ったり居酒屋で注文したりして飲むのとは違った形で泡盛を楽しむことができた(上のテーブルの写真)。

まず頭に浮かんだのは、アメリカ・カリフォルニアのナパバレーである。何十というワインの醸造所があり、醸造所めぐりが観光コースとして定着している(下のテーブルの写真)。醸造所内には常設の見学コースが設けられ、観光客向けの試飲室や専属スタッフを置いているところも少なくなかった。 

このナパバレーのような酒造所めぐりを沖縄で観光コース化できないかなと思った。直接、製品をつくる側の人と話したり、つくる現場を見たりした後の試飲は格別である。お土産として買って帰りたいという気持ちを刺激し、販売促進につながるのはもちろん、ただ名所旧跡をまわるだけの観光に飽き足りない人に対して、新たな観光の選択肢を提供できる。泡盛と地元の産物を組み合わせて提供すれば地元全体の振興につながる。

もちろん、泡盛の酒造所は小規模なところが多く、観光客向けに専用のスタッフや施設を設けることは容易ではないだろう。また、アメリカでは一定程度までならば飲酒運転が認められているのに対して、日本では一滴でも飲酒をしたら運転できず試飲の制約がある。

いきなりナパバレーのようなスタイルは難しいだろうから、始めるとすれば、定期的に観光客を受け入れ可能な酒造所を結ぶような形でバスを運行しながら様子をみながら拡大する形になろう。そのときは、どうすれば観光客が満足するような形で酒造所を見せられるか工夫が必要になろう。なんて勝手に考えてしまった。

ナパバレーのワイン醸造所 ナパバレー

ワインの樽 ワインの熟成